壺齋散人の 映画探検
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イラク~狼の谷:セルダル・アカル



トルコ映画「イラク~狼の谷」は、イラク戦争をトルコ人の視点から描いたものだ。反米映画のレッテルを貼られているほどアメリカに対する厳しい視線に貫かれている。トルコ国内で爆発的なヒットとなったほか、周辺のアラブ諸国でもヒットした。トルコ人にせよアラブ人にせよ、この映画を通じてアメリカの理不尽な暴力に対してカタルシスのようなものを感じたのだと思われる。

トルコは国家としてイラク戦争に深くかかわったわけではないが、イラク国内にはトルコ系の住民も住んでいるので、他人事ではなかった。ましてやその同胞ともいえる人たちが、アメリカ軍によって迫害されたとあって、反米感情が高まったようだ。この映画はそうしたトルコ国内の反米感情を背景にしている。公開されたのは2006年始めのことで、イラク戦争の傷跡がまだ生々しかった頃のことだ。

この映画にはアメリカを象徴するような人間たちが出てきて、そいつらがイラクの現地人を相手に暴虐の限りを尽くす。なにしろ、理屈もなにもあったものではない、気に入らぬ人間を片っ端から殺しつくしていく。そいつらの通り過ぎたあとには、現地のアラブ人たちの死体が累々と重なるといった具合で、暴力団や愚連隊どころの騒ぎではない、悪魔のような殺人集団として描かれている。アメリカ人とは悪魔の申し子なのだ、というのがこの映画の最重要のメッセージなのである。

そんなわけで、この映画はアメリカ人によって拒絶された。アメリカの国内で上映されることはなく、またアメリカの軍人がアメリカ国外でこの映画を見ることも禁じられた。まあ、自分の国が悪魔の帝国のように描かれているわけだから、頭にくるのはわからないでもないが、しかし、自分たちが他の国の人々の目にどのように映っているのか、それを知るのも必要な態度なのではないか。

映画は、アメリカ人から受けた理不尽な暴虐に、現地の人々が復讐するという物語になっている。復習するのは二人の男女。一人はトルコ人の男、もう一人はアラブ人の女である。トルコ人の男ポラットは、元トルコの諜報機関員だったらしいが、友人からさる遺言を託される。その友人はアメリカ軍から受けた恥辱をぜひ晴らしてほしいと言い残してピストル自殺したのであったが、その恥辱と言うのは、イラクに展開していたトルコ人部隊がアメリカ軍によって奇襲され、挙句に辱めのしるしとしてフードをかぶされたというのであった。面子を重んじるトルコ人にとって、このような辱めは耐え切れぬものだったわけである。

アラブ人の女レイラは、自分の結婚式の会場にアメリカ軍に踏み込まれ、無差別攻撃を受けて大勢の参列者が死んだ。その中には自分の夫や、罪もない子どももいた。そんなわけで、レイラは奇襲の責任者であるサム・マーシャルと言う男を憎み、なんとかして復讐しようと付けねらうようになった。このマーシャルこそ、フード事件の責任者でもあったわけである。

トルコからイラクに入ったポラットとその手下たちは、あるホテルに立てこもって、そこにマーシャルを呼び出す。やって来たマーシャルに向かってポラットは、フードをかぶって大衆の前を歩けと要求する。この時点では、ポラットはまだマーシャルの殺害を企てていたわけではなく、友人が受けた恥辱の埋め合わせをさせようとしていただけだったのである。しかし、マーシャルが大勢の子どもたちを人質にとったりしたこともあり、ポラットのマーシャルへの憎しみは高まっていく。その憎しみを更に沸騰させるような真似を、マーシャルのほうもするわけだ。とにかく手当たり次第に現地の人々を殺していくのである。

このマーシャルという人物像は、実在の人物ではなく、架空の人物のようだ。アメリカの悪を体現したような人物像になっているわけだが、面白いことに、キリスト教に対する信仰心は篤いということになっている。そのことで、キリスト教と殺人行為とは親和的だと主張しているようである。この男が悪魔的なのは、ただ単に人殺しを面白がるだけではなく、子どもでさえ平気で殺すことだ。というより、進んで殺しているフシさえある。子供は未来のテロリストだから、そうなる前に殺してしまえ、という理屈だ。

マーシャルによる暴力のほかに、アメリカ軍による暴力も随所で描き出される。たとえばアブグレイブ刑務所における、囚人への虐待とか、生きたアラブ人から移植用の内臓を取り出すといったことだ。アブグレイブの場面では、例の女米兵リンディ・イングランドのサディスティックな虐待が再現されていた。また臓器の摘出をしているのはユダヤ人医師ということになっている。イスラエルもアメリカと並んで、悪魔のような連中のいる国というわけだろう。

映画の後半は、ポラットとマーシャルの一騎打ちともいうべき戦いぶりを描く。この戦いの中で、ポラットは超人的な能力を発揮する。まさにトルコのスーパーマンである。彼は腕っ節がいいばかりでなく、クールでインテレクチュアルな男だ。いったんは、策略を弄してマーシャルの部屋を爆破し、マーシャルを殺したかに思えた。しかし、マーシャルのほうも、魔物らしく悪運が強い。爆破テロを生き延びて、ポラットらの潜んでいる村に攻撃をしかける。

そしていよいよクライマックスだ。多勢を相手にしたポラックとその手下どもの超人的な戦いぶりが展開される。こちらは四人、相手はその数倍だ。その数倍の敵を次々となぎ倒し、いよいよマーシャルを殺す段取りとなる。最初にマーシャルに襲い掛かったのはレイラのほうだった。彼女は夫を殺された恨みをこめて、その夫からもらった探検でマーシャルを倒そうとする。しかし、返り討ちにされて倒れたところをポラットがやってくる。ポラットはマーシャルとの格闘の末、レイラの持っていた短剣でマーシャルを刺し殺すのだ。

こんなわけで、この映画は、正義が悪を退治するという形をとる。無論正義はトルコにあり、悪はアメリカにあるわけだ。悪党扱いされたアメリカが頭に来たのは、わからないわけではない。





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