壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板



キム・ギドクの映画 代表作の解説


キム・ギドク(金基徳)は、ポン・ジュノと並んで、21世紀になって世界の注目を浴びるようになった韓国映画を代表する監督である。映画作りを始めたのはポン・ジュノのほうが早いが、世界の注目を集めたのはキム・ギドクの方が早かった。2001年の「悪い男」がベルリンで注目を集め、2003年の「春夏秋冬そして春」は全米でもヒットした。「春夏秋冬」は韓国のみずみずしい自然を背景にして、禅寺に暮らす子弟を描いた作品で、その東洋的な独特の価値観のようなものが欧米人にとって新鮮に思えたのであろう。

2004年には、「サマリア」がベルリンで、「うつせみ」がヴェネツィアでそれぞれ監督賞をとるなど高い評価を集めた。「サマリア」は女子高校生の売春をテーマにしたものだが、別に金に困っているわけではなく、趣味のような感覚で男と寝る少女がいまの時代の韓国の若者の一つのタイプをなすものというような受け取られ方をした。また「うつせみ」は、不在中の他人の家に寄生する男女を描いたもので、ポン・ジュノの「パラサイト家族」の先駆をなすものと受け取られている。

2005年の「弓」と2006年の「絶対の愛」は、エンタメ性を重視した作品で、社会的な視線は前面には出ていない。2008年の「悲夢」は、日本人のオダギリジョーを主演に迎え、日本語とハングルをごちゃまぜにした映画だ。エンタメ性が強い作品だが、一つの夢を二人の男女が共有するというアイデアが斬新であった。この「悲夢」の撮影中に、俳優を危険な目にあわせたことを反省したキム・ギドクは、映画作りの実践から一時退き、山村部に退隠生活を送った。

2011年の作品「アリラン」は、その退隠生活を描いたドキュメンタリー映画で、自分の生活を自分で撮影したいわば自撮り映画である。その映画の中でキム・ギドクは、アリランを歌いながらすすり泣くのであるが、何がかれをそうさせるのかは、われわれのような外国人にはなかなかわからない。

「アリラン」で一区切りつけたキム・ギドクは、2012年に「嘆きのピエタ」で、ヴェネツィアのグランプリに輝いた。これは消費者金融のあくどさを描いたもので、一時の日本を想起させもする。日本ではすでに過去のものとなっていた消費者金融問題が、韓国ではまだ解消されていないということを感じさせる映画である。

2013年の作品「メビウス」は、核家族の崩壊をテーマにしたものだったが、その作品に出演予定だった女優がキムに性的な暴行を受けたと告発し、キムは500万ウォンの罰金刑を受けた。その後、別の二人の女優がキムから性的暴行を受けたと訴えた。そんなこともあって、キム・ギドクの晩年はスキャンダルまみれなものになった。

ではあるが、かれの作品は、それ自体として評価すべきものを持っており、監督のスキャンダルを理由にその存在意義まで否定するのはばかげているだろう。ここではそんなキム・ギドクの映画を、虚心坦懐の視点から鑑賞してみたいと思う。


キム・ギドク「悪い男」 韓国の売買春文化

キム・ギドク「春夏秋冬そして春」 韓国の禅寺

キム・ギドク「サマリア」:女子高校生の売春

キム・ギドク「うつせみ」:やどかり生活する男女

キム・ギドク「弓」 韓国版「痴人の愛」

キム・ギドク「絶対の愛」 整形手術で全く別の顔になった女

キム・ギドク「悲夢」 夢を共有する男女

アリラン キム・ギドクの隠遁生活

キム・ギドク「嘆きのピエタ」:消費者金融のあくどさク

キム・ギドク「メビウス」 ペニスの切断

キム・ギドク「殺されたミンジュ」 ある殺人事件への報復

キム・ギドク「The NET 網に囚われた男」 朝鮮半島の分断




HOMEアジア映画韓国映画









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである