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上海ルージュ(揺啊揺, 揺到外婆橋):張芸謀



張芸謀の1995年の映画「上海ルージュ(揺啊揺, 揺到外婆橋)」は、中国のやくざ社会を子どもの視点から描いたものだ。映画の中では、時代区分は明示されていないが、原作小説(門規)では1930年代と設定されている。その時代なら、中国でもやくざ社会がまだ活発に動いていたのだと思う。まして舞台となった上海は、中国のやくざたちが大規模な闇社会を形成していたのだろう。

主人公は、水生という14歳の少年。叔父の世話で田舎から出てきて、やくざの妾の召使として仕えることとなる。その妾は、やくざが経営するナイトクラブで歌を歌っている。旦那のやくざは、もう老人なので、彼女は若い男を抱いてうさを晴らしている。そんな折に、やくざ同士の抗争が激化し、やくざは妾を連れて小さな島に潜伏する。そこでは、小さな女の子と暮らす土地の女が、やくざたちの食事の世話などをする。そうこうしているうちに、やくざたちの内部抗争が表面化して、妾は色男ともども殺され、少年は逆さづりの不運に見舞われる。小さな少女はやくざに拉致去られ、その母親は消される。ざっとこんな筋書きの映画だ。

筋書きじたいは俗っぽいもので、たいしたインパクトはない。インパクトは、30年代当時の上海のやくざ社会を描いているところにある。どこまで実態を反映しているのかわからぬが、当時の中国のやくざは、いまの日本で言う経済やくざのようなものだったようだ。ナイトクラブを経営する一方、麻薬の取引らしいこともする。中国近現代の麻薬問題に、やくざがどのていど絡んでいたのか、筆者にはよくわからないが、おそらく麻薬はやくざにとって最大の資金源だったと思われる。やくざの間の抗争は、その資金源をめぐるものだったのだろう。そこが日本のやくざと違うところだ。日本のやくざは任侠を重んじ、抗争の原因の大半は仁義をめぐるものだが、中国のやくざは経済利権をめぐって争うようだ。つまり日本のやくざよりドライということだ。

妾を鞏俐が演じている。彼女は前作の「活きる」では、老け役を演じていたが、この映画では成熟した女を演じている。別人かと思えるほどだ。14歳の少年水生は、彼女に対して最初反発を感じるが、次第に慕うようになる。野原で大便をしているときに、彼女の暗殺を相談する話を聞いて、まっすぐそれを知らせに行ったりするようになる。だが、少年にとっては、彼女と一体感を持ったことが災いのもととなり、彼女が殺されたあとは、不吉な運命に見舞われるだろうと予感させるのである。

彼女が殺されたのは、旦那の子分とつるんだためだ。その子分が旦那の暗殺を企んでいたことが暴露され、彼女はその男ともども殺されてしまうのだ。その彼女らを殺した旦那は、やくざとしてはあまり貫禄はない。相手が強いとみるとこそこそ逃げ隠れるし、相手が弱いとみるとつけあがる。チンピラと大してかわりはない。中国のやくざというものの平均像なのか、あるいはこのやくざの個性なのか、よくはわからない。

原題の「揺啊揺, 揺到外婆橋」は、映画の中で妾と少女が一緒に歌う歌のことだ。こいでこいで、船をこいで、おばあちゃんの橋に行った、というほどの意味。この歌を、妾も少女時代におばあちゃんから聞かされたというわけだ。この歌を歌うときの妾の歌い方はすなおだが、ナイトクラブで歌うときには、中国風の節回しを入れ、ユニークな歌い方をしている。

やくざの老人が小さな女の子を連れ去る。芸を仕込み、妾のかわりにしようというのだ。その母親は利用価値がないといって殺してしまう。無法そのものだが、この時代の中国は、法ではなく人が支配していたのだろう。




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