壺齋散人の 映画探検
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さらば、わが愛/覇王別姫:陳凱歌



「さらば、わが愛/覇王別姫」は、京劇の世界という、中国人にとっても特殊な世界を描いていると思うのだが、我々日本人から見ると、これも中国人の中国人らしい面をよく表現しているように映る。日本でいえば、歌舞伎役者とか伝統芸人の世界を描いているようなものだ。一般人の社会とはおのずから異なってはいるが、それでも日本人的な心情が集約してあらわれている、だからこれも日本文化の一つの側面を表現しているように見える。それと同じようなものだ。

そういう先入見のようなものを抱きながら見てしまうのだが、その結果抱くことになる印象は、中国人のメンタリティが日本人のそれとはかなり違っているということだ。日本人は義理にしばられるところが大きく、それが日本人らしい意地という形で現れるのだが、またそれが日本人らしい美徳の中核をなしているように見えるのだが、この映画から浮かびあがってくる中国人のメンタリティには、そういうところは全く見えない。中国人は、義理とかそれに付随した体裁よりも、自分の人間としての人情とか愛憎に左右されるところが大きい。要するに、よく言えば個人主義的、悪く言えば自分勝手なのである。

そういう中国人の個人主義は(この映画の中では)、自分が窮地に立たされると、愛人や友人など、日本人なら自分の命をかけて守るだろうと思念されているような人々を平気で裏切るというところに典型的にあらわれている。特に、主人公たちが、文化大革命のさなか紅衛兵たちの吊し上げにあい、追求の厳しさを逃れるために、互いに裏切りあう場面など、日本人として見ていられない。これがもし、悪人を描いているという前提なら納得できるが、悪人ではなく、普通の中国人だ。その普通の中国人が、この映画の中では、自分のことしか考えられない自分勝手な、そしてどうしようもなく弱い人間として描かれている。

それも中国人が中国人の同胞をそのように描くのであるから、これは我々日本人の目には、非常に異様に映る。もしかしてこの映画の作者は、同胞愛に欠けているのではないかと思わされるくらいだ。といっても筆者は、なにもナショナリズムがよいといっているわけではない。人はナショナリストでなくとも、自分の国や同胞をもっと温かい目で見るものだ。その温かさがこの映画には欠けている。欠けているどころか、同胞を蔑視する視点さえ見られる。

同胞を蔑視するという点では、主人公の一人である小豆子が、中国軍の兵士より日本軍の兵士のほうがずっと紳士的だったと叫ぶ場面に象徴的にあらわれている。かといって日本軍をいたずらに持ち上げているわけではない。ほかの場面では、日本兵は犬に人肉を食わせると言わせているから、日本兵の非人間性を指摘してもいる。しかしその非人間的な日本兵よりも中国兵のほうが非紳士的=野蛮だと言うわけだから、やはり作者の陳凱歌はある種のシノフォビアだと思ってしまう。

映画は京劇の芸人たちの世界を描いている。それを見ると、芸人の師匠が孤児たちを引き取って芸を仕込む様子がよくうかがえる。日本の歌舞伎の世界でも、芸人たちは幼いころから芸を仕込まれるが、基本的には芸人の子が芸人を引き継ぐという形をとる。だから芸人の世界はどちらかというと、大家族の延長のようなもので、人々は血でつながっているという一体感を持っているとされる。ところが中国では、親のない孤児を拾ってきて、それらに芸を叩き込む。血のつながりはないから、人間関係はドライになりがちだ。実際孤児たちは、つらい体罰をこうむりながら、体一つで芸を覚えてゆくのである。

中国芸能の世界では、この京劇に限らず、雑芸や身体芸を含めて様々な領域で子供の芸人が目立つが、それらもみな幼いころに芸人に拾われて、芸を仕込まれたのだろうと思われる。中国旅行をするとよく雑芸などで子供たちがアクロバティックな演技をするさまを見るが、その子供たちも、親から引き離されて芸人の師匠に芸を仕込まれているのだろうと思う。

この映画は、副題に「覇王別姫」とあるように、京劇の人気曲「覇王別姫」を劇中劇として展開する。覇王別姫というのは、楚の英雄項羽とその愛姫虞美人の物語を劇にしたものだ。その項羽と虞美人を、幼いころから本当の兄弟のようにして育ってきた二人の芸人が演じる。この二人のうち年少のほうは、年長のものを兄と呼び、同性愛の感情を抱いている。ところがその兄なる人が、別の女を好きになる。そこから複雑な三角関係が生まれて、劇が展開してゆくというわけだ。その劇は、1924年ころの北京を舞台にして始まり、日本軍の占領、日本軍の敗北と撤退、戦後の国共内乱を経て共産党政権の樹立、そして1960年代の文化革命へと展開してゆく。面白いのは、この間に数十年の時間が経過しているに限らず、主人公たちが全く年をとらないということだ。これは映画の世界だから許される演出だろう。

クライマックスは、主人公たちが紅衛兵によって吊るし上げられ、互いを密告しあうところだ。この場面で、中国人は愛する人の運命より、自分自身のその場の安全を優先すると語られる。こういう場面を見せられて、中国人自身はどのように感じたか、興味深いところだ。




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