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胡同の理髪師:ハスチョロー、北京の庶民生活を描く



ハスチョローは、中国の映画監督だが、名前からして漢民族の出身ではない。モンゴル系らしい。その人が、中国人のもっとも中国人らしい生活ぶりを描いたのが「胡同の理髪師」だ。この映画は2006年に公開されたが、映画の舞台となったのは、2008年北京オリンピックを目前に控え、急速に再開発が進む北京の町だ。北京の町と言えば、胡同と呼ばれる中国風の長屋での暮らしが知られているが、この映画はその胡同を舞台にしている。

胡同というのは、四方を街路に区切られ、内部に広場のような庭を抱える平方の区画で、そこに複数の家族がそれぞれ別々の生活を営んでいる。この胡同が北京の基礎的な居住区画であるわけだが、それがオリンピックを契機にして大規模再開発が押し寄せ、それに伴って北京市街から甚大な規模の胡同が姿を消したと言われる。この映画は、そうした消えゆく胡同を舞台にしている点で、ドキュメンタリー的な趣も感じさせる。

この映画の中で舞台になった胡同は、故宮の北側に隣接するところにある。京都で言えば、御所に隣接する地域ということになる。東京でいえば皇居の隣だ。日本では、そんなところは庶民の住む場所ではないが、北京では違うらしい。そこにも胡同があって、庶民が暮らしているのである。その胡同が、再開発の要請にしたがって取り壊される。取り壊され、消えてゆくのは町ばかりではない。人々もまた消えてゆく。この映画の中で出てくる胡同には、老人ばかりが住んでいて、彼らが一人ひとり、それこそ蝋燭が消えるように死んでゆくのである。おそらく、北京オリンピック成功のための国策として、若い世代が住めなくなっていたために、老人ばかりが取り残されてしまったのだろう。

その胡同に一人の年老いた理髪師が住んでいる。若い頃には自分の店も持っていたらしいが、今では昔からのなじみ客の家を回って、出張理髪をして暮らしを立てている。客もみな年寄りばかりだ。その客が一人ひとり死んでゆく。彼らはみなそれぞれ複雑な事情を抱えていて、孤独な暮らしをしているが、それは現代中国の直面している大きな社会問題を反映しているということが伝わってくる。老人たちは、子どもから見放されて、寂しい独り暮らしを強いられているのである。

主人公であるチン老人も、同じような境遇だ。彼には息子があり、その息子に孫が生まれるような状況なのだが、その息子というのが、いい歳をして、父親に金をせびるありさまだ。そんなわけだから、チン老人は、九十歳を過ぎても現役を退くことができないわけだ。

老人たちは、基本的には自立して暮らしているということになっている。だが、気になるのは、彼らが互いに孤立しているということだ。それ故、孤独死する老人もいる。そんな人の身の上を思うと、チン老人は複雑な気持ちになる。自分はせめて他人の世話にならずにきれいに死んでいきたいと考え、死後の葬式の段取りまで準備するのである。

そんなわけで、この映画を見ると、中国の家族関係の複雑さを感じさせられる。中国の家族関係は、世界でももっとも濃密だと言われてきたが、その濃密な家族関係が、社会的な変動のなかで大きく揺らいでいる。そのなかで、老人たちが、崩壊した家族から見放されて、孤独な生活を余儀なくされている。そんな光景が浮かび上がってくるわけだ。

胡同は、北京市の行政当局によって次々と除却されてゆく。除却がきまった家屋には、白ペンキで、拆の一字が書かれる。破壊を意味する言葉である。

この拆という字と並んで、この映画には効果的な小道具がいくつか使われている。もっとも目に付くのは柱時計だ。この柱時計が日に五分遅れるというので、チン老人は時計屋にもっていって修理を依頼する。しかし時計屋は修理してくれない。遅れても動いているのだから、時刻合わせをしながら使えばいいではないか、修理は壊れてからでも遅くはない、という理屈からだ。そこでチン老人は、毎晩寝る前に時刻合わせをし、そのついでに入れ歯を掃除する。その入れ歯は、上下とも総入れ歯だ。

チン老人が、自分の生涯を振り返るシーンで、自分の生涯の話がつい脱線して息子の話になるところがある。チン老人は、自分の生き方に満足することができなかったが、それ以上に残念だったのは、息子が自分の期待に応えてくれなかったことだ。せめて一人前の人間になってほしかったが、結局中途半端な人間で終わってしまった。それは自分自身のこと以上に、気が滅入ることだ、とチン老人はため息をつく。昔気質の中国人にとって、子は命の次に大事なものだった。親なら誰もが、子どもには成功してほしいと願っている。だからその願いがかなわないことの嘆きは半端なものではない。その辺は、幾世代か前の日本人と共通するところがある。




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