壺齋散人の 映画探検
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長江哀歌:賈樟柯



賈樟柯は、陳凱歌や張芸謀に続く中国映画第六世代を代表する監督だ。2006年公開の映画「長江哀歌」はその彼の名を世界的なものにした。

この映画は三峡ダムの建設に伴い家が水没させられる人々や、ダムの建設に携わる人々の暮らしを描いている。その暮らしぶりがいかにも中国人らしいというので、この映画は現代中国を理解するうえで貴重な手掛かりになると思われたのだろう。一躍現代中国を映し出す名作だとの評価を得た。ヴェネチア映画祭でグランプリに輝いてもいる。

しかし現代の日本に生きている小生などは、この映画を見ると違和感ばかりが先に立つ。いくら中国が遅れているからと言って、この映画に出てくる中国人たちは、21世紀ではなく19世紀に生きているといってもよいほど、我々現代日本人の感覚とはかけ離れている。上海や北京など大都市部での中国しか知らないせいかもしれないが、こうした映画を見せられると、中国という国は富める部分と貧しい部分との落差があまりにも大きいと感じさせられる。

三峡ダムの建設現場が舞台になっていて、そこに二組の人間模様が繰り広げられるのだが、その二組の間には何らのつながりもない。一組は、山西省から出てきて16年間も会っていない妻や娘を捜し歩く男と、彼を囲む人間たちで、もう一組は、これもやはり山西省から出てきて、二年間ご無沙汰なしの夫を捜し歩く妻と彼女の友人たちだ。

男のほうは三峡ダムの建設現場で働きながら妻子の手がかりを求める。妻子が住んでいた家がダムの建設に伴って水没し、今は船上生活をしながら長江流域をさまよっているらしいことがわかる。妻の兄という男からいずれ近いうちにここに戻ってくるはずだから、それを待っているようにと言われ、男は妻の戻るのをひたすら待ち続ける。

一方女のほうは友人の考古学者に助けられて夫の行方を追う。夫はどうやら長江ダムの建設現場で成功し、現地で妾もこしこらえたようだ。その夫とやっと会えると、妻は夫に離婚したいと言い出す。夫は妻から突然離婚を迫られて目をぱちくりさせるだけ。どう対応してよいかわからない始末だ。

また男のほうも、やっと妻を乗せた船が戻って来たというので、その船に妻を訪ねる。妻はどうやら船主の妾のような身分になっているらしく、また娘は広東省の方へ出稼ぎにいっていると聞かされる。彼らがなぜ16年間も別れ別れで暮らして来たか、その理由を映画は明かさない。だから、なぜ今さら男が妻子を取り戻したいと願い、それに対して妻が人間的な態度を示さないのか、それもわからない。

この映画の中で最も不可解なのは、夫婦や家族が明らかな理由もなく分かれたというよりも、その別れを決断したらしい人間に、その意味が分かっていないように見えることだ。二年間妻をほったらかした夫は、妻に責め寄られても、なぜ自分がそんなことをしたのか説明できないでいる。ただただうろたえている夫の表情からは、いたずらを見つけられて責められている日本の小さな子どもの表情を想起するばかりだ。

また、16年間もほったらかしにされた妻も、自分をそんな目に合わせた夫を恨んだり責めたりするでもない。ただ久しぶりに夫の顔を見て懐かしそうな表情を見せるばかりだ。

そんな中国人たちの表情がこの映画の最も核心的な部分なのかもしれない。自分の運命に対して責任が持てず、ただ流されるままに生きていると言うのが、この映画の中の中国人を見て感じる点なのだが、そういう感じは現代日本ではありえない話だ。そのありえない話がこの映画の中では、ごく当たり前のこととして描かれている。かなり変わった映画である。

もう一つ度肝を抜かされたのは、ビルや工場の解体を人力で行っているところだ。石でできた建物の壁を人間がハンマーで叩き、その力で壁を破壊する。水滴も重なれば石を穿つというが、この映画の中のハンマーもそんなことを感じさせる。なにしろ鉄の構築物までハンマーで叩いているのだ。




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