壺齋散人の 映画探検
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鬼が来た!(鬼子来了):姜文



2000年の中国映画「鬼が来た!(鬼子来了)」の「鬼」とは日本兵のことである。鬼のような日本兵が中国人を迫害して、罪のない人々を無残にも殺し尽くす。その非人間性をテーマにしたものだ。この映画を見ると、中国人がいかに日本人を憎んでいるか、肌で伝わってくる。それはあるいは無理のないことかもしれない。中国政府は先の大戦、それは中国にとっては抗日戦争だったわけだが、その戦争で1000万人の中国人が死んだと公表している。そしてその大部分は日本軍によって殺されたとなっているから、中国人が日本人を憎む気持に無理はない。その憎しみは、戦後半世紀くらいでは到底消えるものではないというわけであろう。

この映画のテーマは二つある。一つは日本兵の非人間性を、多少のユーモアを交えて描くこと。もう一つは中国人自身のだらしなさを反省的に描くことだ。この映画に出てくる日本兵が中国人にとって鬼のように残虐で、非人間的な生き物だというメッセージはわかりやすいが、中国人自身がだらしないからそんな目に会うのだというメッセージはかなり屈折していてわかりづらい。

しかも、中国人には二種類の人間がいて、いい中国人と悪い中国人とに分けられる。いい中国人は、日本兵に迫害され殺されるばかりでなく、悪い中国人によっても迫害される。その悪い中国人というのは蒋介石の国民党で、彼らは日本が敗れた後、米軍の力を借りて同胞の中国人を糾弾するのに夢中になり、日本人が中国で犯した犯罪には寛容だというようなメッセージが伝わってくる。そんなわけでこの映画は、よく見ると、かなりプロパガンダ性の強い作品である。世の中には悪い人間と善い人間とがいる。日本兵と国民党は悪い人間の代表であり、その悪い人間たちによって善い人間である中国人がひどい目にあわされているというわけである。

映画はある中国人の家に正体不明の者がやって来て、二つの図多袋を預けていくところから始まる。そのうち受け取りにくるからそれまで預かっておけというのだ。その図多袋の中には日本兵と中国人通訳が入っていた。中国人はセックスをしている最中だったのをたたき起こされて、この厄介な荷物を押し付けられたわけだが、自分たちだけでは持て余して村の連中に相談する。

そこで村中の人間が寄ってたかって、ああでもないこうでもないと言いあうが、なかなかいい案が浮かんでこない。一番いいのはこの二人を近くに駐屯している日本軍に引き渡してやることだが、そうすると押し付けた者からどんな報復を受けるかわからない。そんな具合に思い悩んでいるうちに半年が過ぎた。さすがの村人たちもこのまま預かり続けるのはたまらないし、かといって他に名案が浮かばない。いったんは殺してしまおうということで意見が一致したが、いざ殺そうという段になると、殺す勇気が出てこない。

結局、日本兵の申し出によって、彼らを近くの日本軍駐屯地に返そうということになる。彼を返してやれば、日本軍はきっと自分たちに感謝をしてくれるばかりか、褒美もくれるに違いない。そんな淡い期待を抱きながら日本兵をロバに乗せて近くの日本軍駐屯地に返してやるのだ。

ところが、期待していたようなことにはならず、全く正反対の結果に終わる。村にやってきた日本兵によって、中国人たちは子どもを含めて皆殺しにされてしまうのだ。

中国人が殺されたのは、殺された中国人自身にも理由があるが、彼らの行為を仇で返した日本人のほうにもっと大きな道義的責任がある。日本兵は中国人の人間的な行為に対して非人間的な行為で応えたのであるから、人間とは言われない。鬼と言うべきである。そういうメッセージがこの映画からは強く伝わってくる。

だから主人公の中国人馬大三が怒り狂って日本兵に襲い掛かるのは無理はないのだ。それなのに同じ中国人である国民党の将校が、馬の行為を犯罪だと断定して死刑を言い渡し、その死刑執行をこともあろうに彼によって助けられた日本兵に命じるのである。香川照之演じるその日本兵が、日本刀を振り下ろして馬の首をはねるところで映画は終る。胴体から切り離された馬の首が苦笑いを浮かべるところを大写しにしながら。

この映画の中の日本兵はかなり類型的に描かれている。彼らはつねに「ばかやろー」と叫び、中国人に暴力をふるうだけではなく、日本人同士でも暴力をふるっている。とにかく人を罵倒しながら暴力をふるうのが好きな人間、それが日本人だというのが中国人の日本人に対して抱く一般的なイメージなのだろうと、この映画を見ると思わせられるところだ。

その日本人は一方ではかなり戯画的に描かれている。日本兵は必ず吹奏楽を鳴らしながら行進するのだが、その音楽はなぜか軍艦マーチである。軍艦マーチは海軍の音楽なので、中国大陸を占領していた陸軍が演奏したとは思えないし、第一日本兵の行進が常に吹奏楽を伴っていたとも思われない。その辺は中国人の日本軍についてのある種のステロタイプなのだろう。

中国人の捕虜みたいな存在を演じた香川照之の演技がそれなりに光っている。しかしこんな汚れ役といえるようなものを、日本人の香川がよく演じる気になったものだ。監督の姜文はよく香川を口説き落としたと思う。




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