壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板




戦争と映画その三



 講和後:日本は1952年にサンフランシスコ講和条約を結び、一応形の上では独立を回復した。そのことは映画界にも反映し、それまでGHQに遠慮してタブー視してきたようなことをとりあげる動きにつながっていった。つまり敗戦後初めて、第二次世界大戦が日本にとって持った意味を考えるようになったわけである。しかし、そこには日本独自のねじれのようなものを指摘することができる。
 その最たるものは、戦争に関する日本国民の被害者意識が一層高まったことである。その被害者意識は、たとえば原爆を批判するような形で連合国側に向けられるようなこともあったが、多くの場合には、無謀な戦争を遂行した指導者たちや無能な軍部に向けられた。また、内務班とよばれる兵営での生活についての批判も高まり、戦争をトータルな形で否定するような風潮が強まった。一方、東アジアへの侵略国としての日本の戦争責任を問う動きはほとんど見られなかった。被害者意識ばかりが肥大して、加害者としての責任感は全く感じない、というのが戦後長い間の日本人の国民的心情だったわけである。この点は、ベトナム戦争以後、自国の加害者意識を前面に押し出した映画を多く作ったアメリカとは大いに違う。日本で自国の加害責任に言及する映画が作られるのは、敗戦後半世紀後のことである。「戦場のメリークリスマス」や「海と毒薬」がその代表的なものであるが、アメリカのその手の映画と比較して、かなり屈折したところを感じさせる。
 真空地帯:これは野間宏の小説を映画化したもので、いわゆる内務班での生活をテーマにしている。軍隊内部の硬直した人間関係、暴力で命令を担保しようとする封建的な組織体質など、日本軍が抱えていた多くの問題を明るみに出したものだ。この映画を通じて日本人は、軍隊というものをあらためて嫌いになり、反戦感情をいよいよ高めた。これを作った山本薩男は、戦時中は「翼の凱歌」など戦意高揚映画を、大した批判意識もなく作っていたわけだが、いざ戦争に負けて見ると、戦争を全否定するという正反対の立場に立ったわけである。まあ、日本の映画人のほとんどは、戦時中には国策に協力させられたわけで、山本薩男一人を責めるのは酷かもしれない。
 私は貝になりたい:これはBC級戦犯をテーマにしたもので、当初はテレビドラマとして大きな反響を呼び、つづいて1959年に映画化された。日本国内を爆撃中に墜落して捕虜になった米兵を虐殺した罪に問われた二等兵の話である。この二等兵には、自分の犯した罪についての意識がほとんどない。というのも彼は自分の意志からではなく、上官の命令に従ってやったまでのことで、上官の命令に背くことは天皇の意志に背くことだとの言い訳で、絶対に反抗できない、致し方のないことだったのであり、そこに自分の意志が介入する余地はなかった。したがって自分にはなんらのやましさもないのであって、反省すべきこともない。そうこの戦犯は思い、その思いを処刑されるまで変えなかった。つまり彼には、加害者としての、戦犯としての意識が全くなかったということだが、こういう心情は、なにも彼だけのことではなく、ほとんどすべての日本兵が抱いていたのではないか。だからこそ、テレビドラマ化されたときに、空前の反響を呼んだのだと思う。そういう意味で、日本人の戦争観を象徴するような内容の映画だったと言ってよい。
 黒い雨:これは井伏鱒二の小説を、今村昌平が1989年に映画化したものだ。原爆災害を描いた映画としては、新藤兼人が1952年に作った「原爆の子」がひとつの典型で、日本人の被害者意識がよく現われていたものだが、それから37年後につくられたこの映画でも、そうした被害者意識はほとんど変わっていない。被害には当然加害者がいるはずだが、これらの映画にはその加害者が出てこないし、したがって加害者を批判したり非難したりするという姿勢が感じられない。原爆災害をまるで自然災害、つまり災難のように取り扱っている。戦争は災難だとし、ただひたすら戦争はごめんだとつぶやいているだけで、戦争について論理的な思考を放棄しているというのが日本人の一つの特徴だと思うのだが、原爆災害を描いたこの作品は、そうした日本的な特徴がよく現われた作品だと言える。今村昌平ともあろうものまで、こうした映画しか作れなかったというのは、非常に考えさせられるところだ。
 戦場のメリークリスマス、海と毒薬:日本の戦争犯罪、つまり加害者としての側面を正面からとりあげたものとしては、大島渚が1983年に作った「戦場のメリークリスマス」があげられ、ついで1987年には熊井啓が「海と毒薬」を作っている。前者はビルマ戦線における日本軍による英軍捕虜の虐待をテーマにし、後者は日本国内での米軍捕虜の生体解剖をテーマにしている。どちらも文字通り日本軍の戦争犯罪を描いているわけだが、その描き方にやはり日本的な特徴を感じざるをえない。それを一言でいえば、戦争犯罪を論理的法理的にとりあげるのではなく、かなり情動的に描いているという点だ。前者では、日本軍の将校と英軍の将校との奇妙な友情が描かれることで、日本側の捕虜虐待の事実が妙な具合に脚色されるばかりか、その虐待が極端に自虐的に描かれてもいる。冷静な視点が見られないのだ。「海と毒薬」でも、日本側はかなり自虐的に描かれている。要するに戦争犯罪のような問題を、冷静に分析する視点が、戦後かなり経過しても確立されていないということである。

3 日本以外の敗戦国(ドイツ、イタリア)
 ドイツの戦争映画:ドイツは敗戦国ながら日本とはかなり違った事情があった。ナチスが政権をとり、世界中を相手に戦争をした。第二次大戦はドイツのポーランド侵略から始まったとされ、ドイツは国家そのものが犯罪的だと断定された。したがってドイツ国民として第二次大戦を正当化する余地は全くなかった。戦後は、英米仏ソによって分割占領され、冷戦の進行とともに国家が東西に分断された。またかつての国土の一部(かなりな面積になる)を割譲させられた。この国家の分断は、1990年のドイツ再統一まで続いた。ドイツの戦後はだから、敗戦後45年間も続いたということになる。
 こうした事情は当然映画にも反映する。東ドイツでは映画作りそのものが盛んではなかったようだが、西ドイツにおいても、第二次大戦を正面から描くというものは長い間見られなかった。ドイツ映画がヒトラーとかナチス、そして第二次大戦を客観的な目で描くようになるのは、ドイツ再統一後のことと言ってもよい。
 戦前及び戦時中のドイツは、ヒトラーをたたえたり、ドイツ民族の優秀性を強調する映画が、戦意高揚映画としての機能を果たした。レニ・リーフェンシュタールは、そうした映画を代表する作家だった。ベルリン・オリンピックの公式記録映画である「民族の祭典」や「美の祭典」といった作品は、ドイツ民族の優秀性を露骨に主張したものである。
 リーフェンシュタールを始めこの時期のドイツ映画には、ドイツ人の肉体的な素晴らしさを強調するものが多い。その肉体美は裸体の形で示される。ドイツ人たちは、スクリーンの中で展開される同胞たちの肉体を見て、自分たちドイツ人がいかに美しい肉体の持ち主なのかを感じた。いまでもドイツ人は、他者の目前で裸になるのを恥ずかしいと思わず、ときには性器も平然とさらすが、これは1930年代から変わらない文化的伝統であり、それを映画が促進してきたのだと考えられるのである。
 敗戦後のドイツ戦争映画:上述したような事情から、敗戦後長い間、ドイツでは第二次大戦を正面から見つめ、客観的な視点から描いた映画がほとんどあらわれなかった。ドイツの戦争を取り上げた作品として本格的なものは、1954年から翌年にかけて公開された「08/15」の三部作だ。
 08/15:これはドイツ軍を多面的に描いたもので、第一部は国内における兵営生活、第二部はソ連の前線におけるドイツ軍の戦いぶり、第三部はドイツの降伏とその直後の混乱について、それぞれある連隊での出来事として描かれている。総括的な感じとしては、ドイツ兵が意外と個人主義的で、愛国心があまり感じられないこと、また、ドイツをみじめな敗戦に導いたのはナチスなのであって、ドイツ軍はナチスにかき回されたおかげで軍隊としてのあるべき姿から逸脱していたということだ。
 特に印象的なのは、兵営生活における兵士たちの個人主義的な発想が強調されていること、敗戦後ソ連の捕虜になったドイツ兵が、なかり自由な自治権をたてにとって、勝手な振舞いをするものが多かったことなどだ。これを日本軍と比較してみると、日本軍の兵営生活は内務班を単位として行われ、徹底した規律が支配していたこと、戦後捕虜になった日本兵は、例えば大岡昇平が俘虜記の中で描写しているように、それなりの規律と友情に支えられていたことに比べ、ドイツ軍はかなりいいかげんな生きなたをしていたことが伝わってくる。
 この「08/15」はドイツ映画のなかでも例外に属するらしく、ドイツ映画が第二次大戦を本格的に描くことは少なかったし、いわんやドイツ軍を正当化するような映画は、かつての戦勝国への配慮や、ドイツの分裂が続いている事情も働いて、作られることはなかった。そんななかで1977年に、アメリカ人のサム・ペキンパーが、米独合作というかたちで、ドイツ軍の戦いぶりをドイツ人の視点から描いた「戦争のはらわた」が作られた。これは、スターリングラード攻防戦以降の、ドイツ軍の敗退を描いたものだが、ドイツ軍兵士の視点にたって、ソ連兵と戦いながら撤退するさまが描かれている。しかし、その視点は戦場の微視的な場面に集中し、ドイツが行った戦争の意味を深く考えたものではなかった。この映画でも、ドイツ軍の本当の敵はソ連兵ではなく、身中のナチスだというような主張が伝わってくる。つまりドイツ人は、不都合な部分はみなナチスのせいにすることによって、自分たち自身の戦争責任を軽減しようとするかのように思われるのである。
 21世紀になると、ヒトラーを含めて、ドイツの戦争責任の問題を、もっと深く考えようとする姿勢が見られるようになる。2002年公開の映画「ヒトラー最後の12日間」は、その先鞭をつけたもので、これ以降、ヒトラーやナチスのなした行為を多角的な視点から検証しようと意図するような映画がぼちぼち現れるようになる。




HOME| 映画論覚書| 次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2018
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである