壺齋散人の 映画探検
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悪魔が夜来る(Les Visiteurs du Soir):マルセル・カルネ



1940年の6月に、フランスがドイツに占領されると、ルネ・クレールやジャン・ルノワールを始め主な映画監督はほとんどアメリカやイギリスに亡命した。そんな中でフランスに踏みとどまり映画作りを続けたのがマルセル・カルネ(Marcel Carné)である。

ドイツ占領中にカルネが作った映画は二本、「悪魔が夜来る(Les Visiteurs du Soir)」と「天上桟敷の人々(Les enfants du Paradis)」である。どちらも歴史ものと言うべき作品だ。それまでのカルネと言えば、同時代のフランスを情緒豊かに描いた作品が持ち味だったわけだが、それが一転して歴史ものに転じたのには、相応の理由があった。

同時代のフランスを舞台に選べば、どうしてもナチスによる占領に触れないわけにはいかない。もしそれを避けて映画を作れば、現実から逃避していることになるし、また、正面からそれに向き合えば、弾圧の覚悟をしなければならない。カルネが同時代を避けて歴史的な時代に題材を求めたのは、そんな事情が働いたからだと思われる。だが彼は、歴史的な題材を取り上げながらも、そこにフランス人の民族としての誇りを盛り込むことにこだわった。そうすることで、間接的に、ナチスによるフランス支配に抗議の意を示したのだと思う。

「悪魔が夜来る」は、15世紀のフランスを舞台にした映画である。悪魔が手下を通じて人間を堕落させようとする。しかし、その手下が人間を愛してしまう。そこで悪魔が手下の前に現れて、自分の命令を聞けと脅す。ところが、人間を愛した手下は言うことを聞かない。怒った悪魔は、手下とその恋人とを石に変えてしまうが、石になった後でも、恋人たちの心臓は動き続ける。簡単にいえば、こんな内容の映画だ。ここで、悪魔をナチス・ドイツ、手下とその恋人をフランスの庶民ととれば、カルネの言いたいことが見えてくる。つまり、ナチスは形の上ではフランスを支配しているが、フランス人の心までは支配できない、といっているわけであろう。

悪魔の手下を演じているのは、ジル(アラン・キュニーAlain Cuny)とドミニク(アルレッティ Arletty)。二人は兄妹だといっているが、もともとは夫婦だった。それがどういうわけか悪魔と契約して手下となった。彼らの仕事は、人間を誘惑し、堕落させ、絶望に追いやることである。そんな彼らの前に格好の標的が現れる。一組の婚約したカップル、ルノー(マルセル・エラン Marcel Herrand)とアンヌ(マリー・デア Marie Déa)である。彼らの婚約の宴が城の中で催されている。そこへ吟遊詩人を装った手下たちが紛れ込み、魔法を使ってルノーとアンヌの誘惑にかかる。ルノーは誘惑に引っかかってドミニクを愛するようになるが、ドミニクはビジネスに徹したままである。一方、アンヌを誘惑したジルは、自分でもアンヌを愛してしまうのだ。ここからドラマが展開していく。

この映画には、三人の小人たちが出て来る。彼らはマクベスに出てくる三人の魔女のパロディだろう。その彼らが、手下たちの前に現れて歌う。メロディはフランス民謡「緑色の鼠(Une souris verte)」だ。そのメロディに乗せて、「誘惑し、堕落させ、絶望に追いやる、それがお前たちの仕事だ」と歌うのである。

ドミニクは、ルノーに続いてアンヌの父親のユーグ公(フェルナン・ルドゥー Fernand Ledoux)も誘惑する。そこでルノーとユーグはドミニクを巡って恋敵となる。彼らは最後には決闘をして、どちらがドミニクを自分のものにするか、決着をつけることになろう。

一方、ジルのほうはアンヌに夢中になってしまう。アンヌの前で自分が悪魔の手下であることを告白したうえで、自分を愛して欲しいと訴える。アンヌのほうは無論、ジルを深く愛しているのだ。

そんな状況を見た悪魔(ジュール・ベリー Jules Berry)は、これは契約違反だといって怒る。契約では、ジルは女を誘惑したあと、堕落させて絶望に追いやることになっている。誘惑した後にその女を愛することは禁止事項なのだ。そこで、ジルの前に現れて、契約を履行しろとせまる。その時に悪魔が吐く言葉が面白い。「従順でないものは我慢ならない」というのだが、これは支配者がいつも吐く言葉だ。

ドミニクのほうは、悪魔の期待に応えて、二人の男を堕落させ、死に追いやったり絶望させたりするのに成功する。しかしジルは悪魔の言うことをきかず、アンヌを愛し続ける。ところが面白いことに、そのアンヌを悪魔自身も愛してしまうのだ。なんとかアンヌを自分のものにしたい悪魔は、色々と小細工を弄する。その挙句、ジルを鎖から解放するのと引き換えに自分の愛を受け入れろとアンヌにせまる。それをジルは必死に止めようとするが、アンヌは悪魔の申し出を受け入れてジルを開放してもらう。解放されたジルは、それまでの記憶を失ってしまい、アンヌのこともわからない有様になる。だがそれをアンヌは、愛の力で乗り越える。アンヌの愛の力で、ジルは記憶を取り戻し、二人は強く抱きしめあうのだ。それを見た悪魔は怒り狂い、二人を石像に変えてしまう。しかし石になっても、二人の心臓は依然動き続けるというわけである。

この映画の脚本は、カルネの良き仲間であったジャック・プレヴェールが書いた。彼はこの当時、アルレッティに夢中になっていて、彼女の美しさを最大限に表現できるよう工夫を凝らしたと言われている。そんな工夫が効を奏したのか、アルレッティはすでに四十代半ばだったにもかかわらず、年齢を感じさせない美しさだ。彼女は、この映画と次の「天井桟敷の人々」によって、映画史上に残る女優となったのである。

悪魔を演じたジュール・ベリーは、「陽は昇る」の中でも卑劣な人間を演じて、圧倒的な迫力を発揮していたが、この映画の悪魔役もうってつけの演技ぶりと言ってよい。この俳優は、こうした役割を演じさせると、かなうものがないほど絶妙だ。





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