壺齋散人の 映画探検
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マルセル・カルネ「天井桟敷の人々」:ジャン・ルイ・バローとアルレッティ



「天井桟敷の人々(Les Enfants du Paradis)」は、「悪魔が夜来る」に続いて、マルセル・カルネ(Marcel Carné)がナチス・ドイツ占領下のフランスで作った二本目の映画である。この映画も、ナチス・ドイツの存在をはばかって、現代劇ではなく歴史を背景にした映画になった。とはいっても、ナチスに対する批判が影を潜めているというのではない。かえって逆である。ナチスへの強烈な批判が、この映画には込められている。スタッフにユダヤ人たちを起用していることがそうだし(これは極めて危険な行為だった)、テーマもまたそうである。この映画は、最もフランスらしいもの、即ちどんな困難をも乗り越える人間同士の愛を描くことで、ナチスによる非人間的な体制に強烈なノーをつきつけたのである。そんなわけで、この映画はポリティカルな一面を持っている。その面を含めて、この作品は、フランスの映画史上特別の位置づけがされている。

前作の「悪魔が夜来る」は15~16世紀、つまり北方ルネサンス期のフランスを舞台にしていたが、この映画は七月王政期のパリを舞台に選んだ。アイディアを出したのは舞台俳優のジャン・ルイ・バロー(Jean Louis Barrault)だった。バローは、1830年代から40年代にかけてパントマイム役者として有名だったガスパール・ドビュロという男を映画にしたらどうかと提案した。ドビュロはユニークな人物で、逸話が多い。中でも有名なのはこんな話だ。ある日、女を連れて外出中、ちょっとしたことで路上でいさかいになり、相手をステッキで打ち殺してしまった。そこで裁判にかけられ、弁明することとなった。すると、パントマイム役者として、日常でも口をきいたことがないと噂されていたドビュロが初めて口をきくと言うので、パリ中の物好きたちが法廷に押しかけたという。

この男に興味を持ったマルセル・カルネとジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)は、ドビュロの生きた時代背景とドビュロを囲む人々について徹底的に取材し、真偽とりまぜて一篇の脚本を書いた。まず共演者として、ドビュロの同時代人の中から、舞台俳優のフレデリック・ルメートルとピエール・ラズネールを選んだ。ルメートルは、七月王政期のフランスを代表する俳優で、演劇における俳優の地位の向上に大いに貢献したことで知られるが、なにかと愉快な逸話に囲まれていた。ラズネールの方は、当代随一の大悪党で、人殺しから強盗まで縁のない犯罪はなかったといわれる。最後には殺人の罪でギロチンにかけられたのだったが、その直前に遺言の書のようなものを残した。その遺言と言うのが実に愉快なもので、まさにフランソワ・ヴィヨンの再来を彷彿せしめるようなものだった。この三人を役者に据えて物語を書いたら、さぞ愉快なものができるに違いない、彼らはそう考えたのだった。

このほかに女も入れねばならない。当時アルレッティに夢中になっていたプレヴェールは、アルレッティが最も美しく見えるような役柄を考え出した。また、アルレッティ(Arletty)のアヴァンチュールを彩る脇役として、モントレー伯爵という人物像を考え出した。ここまで役者が揃えば、映画としてはずいぶん骨太のものが出来上がるに違いない、というわけだ。

カルネらは、南仏ニースのラ・ヴィクトリーヌ撮影所に巨大なセットを作り、そこで撮影を進めることとした。南仏は名目的にはフランスの独立が維持されており、パリよりは映画を作りやすい雰囲気だと考えたのである。このセットは、七月王政期のパリの北東部の一角にあった通りを再現したものだった。その通りの正式名称はタンプル大通りといったが、犯罪大通りという通称で知られていた。通りには劇場が軒を並べ、そこで毎日のように犯罪劇が演じられていたためだ。この通りの一角に、ドビュロらが根城としたフュナンビュール座があった。通りのセットはそのフュナンビュール座を中心にして400メートルにもわたる巨大なものだった。

なぜこんな巨大なセットが作られたかと言うと、当時のフランスはナチスに占領されて、まともな金の使い道がなく、金持ちたちは映画道楽に金を惜しまなかったというのである。

映画は三時間を超える超大作ということもあり、前後二段に別れる。黒沢の「七人の侍」も前後二段に別れていたが、黒沢の場合、途中に休憩をはさむというやり方を取ったのに対し、この映画の場合、前篇・後篇の二つの独立した作品を組み合わせるという方法を取っている。したがって、後篇の始まりに際しては、タイトルの外クレジット情報の画面もひととおり映し出される。

前篇は「犯罪大通り」、後篇は「白い男」というタイトルが付けられている。前篇では、主要な登場人物たちが、犯罪大通りを舞台にして出会い、それぞれの生きざまをぶつけ合うさまが描かれる。パントマイム役者のバティスト(ドビュロのこと、配役はジャン・ルイ・バロー)、ドビュロにとって運命の人となった女性ギャランス(アルレッティ)、俳優志望の男フレデリック・ルメートル(ピエール・ブラッスール Pierre Brasseur)、一代の悪党ラズネール(マルセル・エラン Marcel Herrand)そしてギャランスのパトロンになるモントレー伯爵(ルイ・サルー Louis Salou)といった具合だ。

前篇で出会ったバティスタとギャランスは、互いに愛し合っているにかかわらず、その愛を成就することができないまま、離れ離れになる。ギャランスがラズネールの犯罪の巻き添えで警察に逮捕されそうになり、モントレーの助けを求めたことで、モントレーと共に、外国暮らしをするようになったためである。

後篇は、前篇より数年後のことというふうになっている。バティストは自分のことを愛しているナタリー(フュナンビュール座の座長の娘 マリア・カザレス Maria Casares)と結婚し一人の男の子がいる。パントマイム役者としての名声が高まり、フュナンビュール座はいつも超満員である。ルメートルのほうも俳優として成功しているが、奇想天外な生き方をしている。ラズネールは、相変わらず犯罪に手を染めているが、最後はモントレー伯爵を殺すことになるだろう。

久しぶりにギャランスの顔を見たバティストは、心の乱れるのを感じ、今度こそギャランスを離さないと決意する。そんな彼に妻のナタリーが悲しそうな顔を向ける。しかし、どうすることもできないのだ。

最後はギャランスが自分から身を引いて去って行き、バティストは復活祭の喧騒の中にひとり取り残されるという結末になる。つまりこの映画では、男女の愛が成就されることはないのだ。だからといって、その愛が不毛だということではない。愛し合う二人は、一緒にいることこそできないものの、心の中ではつねにつながっている。そんなメッセージが伝わってくるのである。

七月王政下のフランスというのは、貴族階級と大ブルジョワが結託した政権の時代として知られる。したがって金がものをいう社会である。人間とは金を持っている者のことをいい、金を持たない者は人間とは言われない。そんなものは人間の形をしたただの屑だ。そんな雰囲気が充満していた社会である。そんな社会のあり方はナチス占領下のフランスに似たところがある。ナチス占領下のフランスでは、ナチスとその仲間だけが人間であり、それ以外の者は人間の姿をした屑だ、とりわけユダヤ人は生かしておくべき理由のない、屑そのものだ、とされていた。カルネたちは、そういった風潮に鋭い批判を加えることで、同時代を告発したのだと言えるのではないか。

この映画には、いろいろ付帯的なエピソードがある。舞台美術のアレクサンドル・トローネルと音楽のジョゼフ・コスマはユダヤ人だったため、クレジットに名を連ねることができなかった。そこで、彼らは黒子に徹して映画作りに協力した。また、当初プロデューサーだったアンドレ・ポールヴェの家系にユダヤ人の血が流れていることがナチスにばれて、一旦ぼつになりかけたが、パテ・シネマが入ることによって、再開することができた。

映画がほとんど出来上がったころ、古着屋ジェリコを演じていたロベール・ル・ヴィガンが対独協力を追及されてドイツに逃げるというハプニングが起こった(その後つかまって、十年間の懲役刑に処せられた)。こうなると、このままル・ヴィガンの映像を残しておく訳にはいかないので、配役をピエール・ルノワールに替えて撮りなおした。ピエール・ルノワールは画家オーギュスト・ルノワールの長男で、ジャン・ルノワールの兄にあたる。

ピエール・ブラッスールは「霧の波止場」でチンピラ役を演じていたが、この映画の中では、堂々たる風格の役者を演じている。アルレッティは、プレヴェールの期待にたがわぬ美しさを放っている。彼女はもう四十代も半ばを過ぎていたというのに、まだ青春の残光を放ち、神々しいほどの美しさに満ちていた、といってよい。

なお、映画の中ではいくつかの劇中劇が演じられる。これらは「首吊りピエロ」や「古着屋」などといって、ドビュロの実際のあたり芸だったものを再現したのだという。

(参考)山田宏一「わがフランス映画誌」所収の「"天井桟敷の人々"物語」及び「犯罪大通りからサンセット大通りへ」



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