壺齋散人の 映画探検
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嘆きのテレーズ(Thérèse Raquin):マルセル・カルネ



マルセル・カルネ(Marcel Carné)の映画「嘆きのテレーズ(Thérèse Raquin)」はエミール・ゾラの小説「テレーズ・ラカン(Thérèse Raquin)」を映画化したものである。原作はある女の亭主殺しを描いており、罪深い女の心理を描いたリアリズム小説だが、カルネはそれにサスペンスの味付けを施して、映画としても楽しめるものに作り変えた。

筆者が「テレーズ・ラカン」を読んだのは大昔のことなので、内容の詳細は忘れてしまったが、おおかたの粗筋は次のようだったとうろ覚えしている。無気力な亭主との生活にうんざりしているテレーズという女のところに、一人の男が現れ、テレーズの心を虜にしてしまう。情欲に燃えたテレーズは、男を唆して亭主を殺させ、新しい生活を夢見るのだが、いざ、亭主を殺してみると、罪の意識にさいなまれて、男との関係もうまくゆかなくなり、ついには精神的に破綻してしまう、というものだ。妻の不倫を描いたところは「ボヴァリー夫人」に似ているが、ボヴァリー夫人よりも、心理描写がねっとりとしている、そんな読後感を持ったのを覚えている。

原作は、女の心理に焦点を当てているので、それをそのまま映画化しようとすると、筋書きが単調になって、退屈な映画になる恐れが強い。もっとも、この作品のシナリオを担当したのは、心理的リアリズムで定評のあるシャルル・スパークだから、彼なりに器用にまとめたかもしれない。だが、カルネはそれに不服だったのだろう。筋書きに大きな変更を加えて、作品にドラマティックな側面を持たせようとして。

原作では、テレーズと情夫が夫を騙してボートに乗せ、そこから突き落として水死させるということになっている。その時に夫が情夫の腕に噛みついてつけた歯形が、殺人の痕跡となって彼らを苦しめるのである。映画では、テレーズは夫に連れまわされてパリに向かうということに変更されている。その列車に情夫が後から乗り込んできて、夫と言い争いになった挙句、列車から突き落としてしまうのだ。だから、意図的な殺人ではなく、ハプニングとして描かれている。しかして、その列車のコンパートメントには別の男が同室していて、その男がテレーズらの事情を知って、彼女と情夫をゆする、ということになっている。その男もまた死んでしまうのだが、テレーズらによって殺されるのではなく、偶然の自動車事故に巻き込まれて死ぬのである。ともあれ、この第三の男が現れてから、死ぬまでの間の描写がサスペンス・タッチになっていて、映画に独特の緊張感をもたらしている。

テレーズを演じているのはシモーヌ・シニョレ(Simone Signoret)。妖艶な雰囲気を漂わせている女優だ。情夫のローランを演じているラフ・ヴァローネ(Raf Vallone)のほうは、イタリア人俳優だが、いかにもマッチョで男臭い雰囲気をまき散らしている。それに対してテレーズの夫は、性生活もままならぬ腑抜けとして描かれている。テレーズが夫から解放されて、このマッチョな男とやり直したいと思うのは、無理もないことだというふうに思わせられる。

舞台はリオンの街だ。原作ではパリが舞台だったが、リオンに変更したのは、パリに向かう列車の中でドラマを設定した都合からだろう。尤も、ローヌ川を中心にして展開されるリオンの街並は中々風情があって、筆者のような外国人には興味深く見られるところだ。

映画の前半は、テレーズとローランが出会い、次第に濃密な関係になっていく過程を描いている。テレーズは親に死に別れたあと叔母に引き取られ、成人するとその息子と結婚させられたのだったが、夫は性的な無能者らしく、テレーズは新しく表れたローランのほうにのめり込んでいく。それに気付いた亭主が、テレーズをパリの知人の所に監禁する目的で、無理やり列車に乗せてパリに向かう。それを知ったローランは、自分のトラックであとを追いかけ、途中の駅から乗り込んでくる。しかして、亭主と口論となり、誤って亭主を列車の外に投げ出してしまうのだ。

この思いがけない事故に直面したテレーズは激しく動揺する。殺人を犯したのはローランであって、自分は全く手を出していない。だから、ローランとの縁を切ることで、この事件から逃れることも考えられる。実際彼女は、いったんはローランときっぱり別れることを考えたのである。ところが、そうはさせない事情が持ち上がる。事件から一か月以上もたったある日、もと軍人だと名乗る若い男(Rolland Resaffle)が現れ、テレーズをゆすりにかかるのだ。男は実は、テレーズと亭主が入ったコンパートメントに同室しており、事件のことを直接目撃したわけではないが、テレーズがこの殺人事件の重要な容疑者だといって脅迫するのである。

動揺したテレーズはローランを頼る。もはや二人は、運命を分け合う仲になった。なにごとも、「わたしたち」にとってどういう意味を持つのか、というように考えるようになるのである。

もと軍人の要求は50万フラン渡せというものだった。そんな金はないので、ふたりは一時は途方にくれたが、夫の死亡を巡って思いがけない展開となり、多額の金が入ることになった。夫の死は事故と認定され、賠償金が手に入ったのだ。その金でテレーズは、軍人の要求に応えようという気になる。

こうしてクライマックスがやってくる。もと軍人はテレーズの店に呼び出されるが、そこに向かう前に、この事件の詳細を記した手紙を書き、それをホテルのメイドにゆだねる。もしも自分が夕方の5時までに帰ってこなかったら、これをポストに投函して欲しいといって。

取引はあっさりと終了する。テレーズたちは金を渡す条件として、今後この事件を一切蒸し返さないという念書をもと軍人に書かせる。念書を書いたもと軍人は、どうやらお人よしの面もあるらしく、二度とゆするようなことはしないという言葉に現実感がある。もしそのとおりなら、二人は今後官憲の追及におびえることなく、新しい生活を始めることができるはずだ。

しかし、最後の最後にまた、どんでん返しが控えている。金を持ってご機嫌になったもと軍人は、バイクに乗ろうとしていたところを、路地をかけて来たトラックにはねられ、死んでしまうのだ。もと軍人が帰ってこないので、ホテルのメイドが例の手紙をポストに投函する。そのあとでどんな運命が待っているか。観客である我々には十分にわかる。しかし、テレーズとローランにはわかりようがない。そんな中途半端なところで、映画は終わるのである。

この簡単な筋書きからもわかるように、映画の見どころはおもに後半にある。夫殺しも偶然の結果なら、もと軍人の事故も偶然の結果、そんな偶然に振り回されながら、主人公たちが運命の深みにはまりこんでいく。その過程がサスペンス風に、実に心憎く演出されている。これは、サスペンス映画としても一流の出来だといってよい。

なお、映画の中で夫が妻の不倫を激しくなじるシーンが出て来るが、その理屈が面白い。不倫は法律上の犯罪で、殺されても文句が言えないのに対して、夫の権利は法律で厚く守られている。だから自分には、お前たちの生殺を左右する法律上の権利がある、という理屈だ。敗戦以前の日本における姦通罪を思わせる(身分法を含む日本の民法は、フランス民法を参考にして作られていた)。





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