壺齋散人の 映画探検
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最後の億万長者(Le dernier milliardaire):ルネ・クレールの映画



ルネ・クレール(René Clair)の「最後の億万長者(Le dernier milliardaire)」は、ヒトラーの独裁振りを皮肉った、世界で最初の映画作品だといわれている。ヒトラー批判の映画としては、チャップリンの「独裁者」が有名だが、この作品はそれよりも6年も前、1934年に公開された。ヒトラーがドイツの実質的な独裁者となったのは1933年のことだから、この作品はそれをつかさず取り上げて、痛切に批判したわけである。

チャップリンの「独裁者」は、ヒトラーによく似た替え玉(床屋)を登場させて、その男のちぐはぐ振りを通じて、ヒトラーの非人間性をあぶりだしたわけだが、クレールのこの映画では、ドイツで進行していたと同じような状態を、擬似国家で再現してみせ、そこで独裁者が権力を握っていく過程を描き出した。いわば、独裁者はいかにつくられるかをシミュレーションしたような形の物語になっている。

その擬似国家というのは、おそらく地中海の片隅にあると思われる小さな都市国家だ。この国家はカジナリオという名称で、カジノの運営を最大の財源としている。国民の大多数は公務員で、カジノで外国人にサービスをすることを仕事としている。ところがこの国が、なにかの理由で信用危機に見舞われ、それがもとで深刻な財政危機に陥る。その結果、国民の大多数を占める公務員に半年も給料を払えなくなるといった具合で、国民の間で不満が高まる。それに対して女王(マルト・メロ Marthe Mellot)は、国の出身者で世界一の大富豪であるバンコ氏(マックス・デアリMax Dearly )に、救済資金の提供を申し出る。孫娘の王女(ルネ・サン=シール Renée Saint-Cyr)と結婚させるという条件である。

女王と同い年であるバンコ氏は、この結婚話に飛びついて、カジナリオ国にやってくる。そして、女王や大臣たちとやりとりをしているうちに、自分がこの国の実権を握ることができると考えるようになり、国民の前で、自分は女王から総理大臣に任命されたと宣言する。ヒトラーの権力掌握を思わせる場面だ。

ところが、ひょんなことから、バンコ氏は頭に痛烈な打撃を受け、それがもとでおかしくなってしまう。頭のおかしくなったバンコ氏は、大臣や国民たちに向かって次々と荒唐無稽な命令を発していく。たとえば、閣議の場では椅子を除去せよとか、自分が歩くときには(新しい)国歌で迎えよとか、髭を生やしているものは半ズボンを履けとか、自分の前では犬のように四つんばいで歩けとかいった具合である。

こうしてバンコ氏の独裁が徹底していくにつれて、国中がてんやわんやの騒ぎになる。当のバンコ氏は、頭がおかしくなったせいで、王女との結婚話も忘れてしまう。そのうちに、自分の経営している企業が破産して無一文になったということを聞かされても、その意味が理解できない。そんなバンコ氏を、女王は暗殺しようと考え、息子の皇太子とともにバンコ氏の寝室に忍び込み、鉄砲で撃とうとする。しかし、鉄砲からは弾が出てこない。そこで皇太子は、その鉄砲でしたたかバンコ氏の頭を打つ。そこでまた、ひょんなことが起こる。バンコ氏が正気に戻るのだ。

正気に戻ったバンコ氏は、王女との結婚話を思い出し、すぐにでも婚礼の儀を執り行いたいと迫る。ところが、王女には他に思う男があって、じつはその男との間に二人の子どもまでもうけていたということがわかる。感極まった女王は、自分が王女の身代わりになろうと決心し、バンコ氏と結婚することにする。どういうわけかバンコ氏のほうも、女王との結婚を受け入れるのだ。こうして女王とバンコ氏は結婚するわけだが、その結婚がもたらすはずのものを、女王は手にすることができなかった。なぜならバンコ氏は破産してしまったからだ。それでも、バンコ氏の独裁は続いていくであろう。国民が立ち上がってそれを倒さない限り、独裁がやむことはないのだ。

こんな具合で、この映画では、ドイツが陥っていた状況ときわめて似た状況が再現させられている。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツは、莫大な賠償金を支払わせられた結果、深刻な財政危機に陥り、経済は混乱、国民は塗炭の苦しみをなめていた。そんななかから、国民の窮状を救う救世主という役柄でヒトラーが登場したわけだが、その登場のプロセスを、この映画もほぼパラレルに辿っているわけである。

権力を握ったヒトラーは、次々と異常な政策を実施するようになるが、それはまともな人間の目には狂気にしか映らない。そこで、この映画では、ヒトラーの似姿であるバンコ氏は、頭が狂っているということになっているわけである。狂った人間でなければこんなことはできない、というメッセージを、クレールは世界に向かって発したのである。

バンコ氏の異常な振る舞いを、執事(レモン・コルディ Raymond Cordy)がパートナーとして支える。二人のやりとりは、かけあい漫才をみているかのようである。コルディは、「ル・ミリオン」や「自由を我等に」でも洒落た役柄を演じていたが、この映画でも、狂言回しのような役柄がよく似合っていた。

女王を演じたマルト・メロもなかなか洒落ている。彼女は自分の肩一つで国を支えているといった気概を感じさせる。そんな気概があるから、いざというときには、自分でバンコ氏の嫁になる決心ができたのであろう。しかし、結局国を救うことはできない。国を救うのは、権力者ではなく国民自身なのだ。そういうメッセージをクレールは発しているように受けとれた。

しかし、そのメッセージも空しく、ドイツどころかフランスもヒトラーの餌食になってしまう。この映画が公開された六年後(1940年)、フランスはヒトラーのナチス・ドイツによって占領されてしまうのだ。クレールが身の危険を感じてフランスを逃げ出したのは、いたし方のないことだったと言えよう。





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