壺齋散人の 映画探検
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望郷(Pépé le Moko):ジュリアン・デュヴィヴィエ



ジュリアン・デュヴィヴィエ(Julien Duvivier)の映画「望郷(Pépé le Moko)」(1937年)は、「地の果てを行く」(1935年)と同じく、アフリカを舞台にしたものである。どちらの作品もジャン・ギャバン(Jean Gabin)が主演している。「地の果てを行く」の中のギャバンはフランスで殺人事件を犯し、官憲の追及を逃れるためにモロッコの外人部隊に潜伏する男に扮していたが、この映画「望郷」のなかでは、やはりフランスの警察に追われ、アルジェリアの都市アルジェの、カスバと呼ばれる一角に潜伏する男に扮している。原題の Pépé le Moko はその男の名前だ。

ジュリアン・デュヴィヴィエは、母国のフランスよりも極東の島国日本で人気のあった映画監督であり、なかでもこの「望郷」は、デュヴィヴィエの代表作として、圧倒的に支持されてきた。そんな背景があるから、「カスバの女」のような歌が大ヒットしたわけである。

日本人はまたジャン・ギャバンの国民的なファンでもあるといってもよいが、その理由はギャバンが「望郷」や「地の果てを行く」で見せた渋い演技によるところが大きい。ことほどさように、日本人(少なくとも昔の日本人)はジュリアン・デュヴィヴィエの映画と、そのヒーローであるジャン・ギャバンが好きなのである。

筋書きは至ってシンプルだ。カスバに潜伏するお尋ね者のペペを、警察がなかなか検挙できないでいる。というのも、ペペはカスバの人気者になっていて、そこの住民のほぼすべてを味方にしているからだ。警察がカスバの中に踏み込んでも、ペペは住民たちに守られて、まんまと逃げおおせてしまう。一筋縄ではつかまらない。そんな折、地元のある刑事がペペと近づきになる。その刑事は、ペペを捕まえるためには、カスバの外に連れ出すことが絶対条件だと思うようになる。そこで、その機会を淡々と狙っているが、そのうちにまたとないチャンスがやってくる。ペペをカスバの外におびき出すような事情が生ずるのだ。その原因となったのは、一人の女だった、というものだ。

ペペにはイネス(リーヌ・ノロ Line Noro)という情婦がいるのだが、どうやら倦怠期になっているらしく、新しい風を欲しがっている。そんな折に、カスバの中をうろついていたギャビーという女(ミレーユ・バラン Mireille Balin)を見初める。一目ぼれというやつだ。その女は宝石箱とあだ名されるほど、体中に宝石を着け、どうみても安っぽい女にしか見えないのだが、ペペは夢中になってしまうのだ。その理由は、ギャビーがパリを感じさせるということだった。ペペはギャビーを見ていると、パリでの生活がありありと思い出され、うっとりとしてしまうのだ。だから、女に惚れたというよりも、女が漂わせているパリの雰囲気に惚れたといってもよい。(「望郷」という日本語の題名は、ペペのパリを思う気持を表したものだろう)

刑事のスリマン(リュカ・グリドゥ Lucas Gridoux)は、ペペがギャビーに夢中になっているのに付け込み、ギャビーを利用してペペをカスバの外におびき出そうと思案する。何度かの試行錯誤の後、スリマンの思惑は図にあたる。ギャビーとの逢引が思うようにならないことに苛立ったペペは、ついにカスバから町の中に出てくる。町の中では、ペペは裸も同然だ。簡単に捉えられてしまうだろう。

この場面は映画のクライマックスというべきところなので、いささか工夫が凝らされている。スリマンは、ペペをギャビーの住む街中のホテルの一室におびき出すように設定するのだが、その計画を知ったペペは裏をかいて、波止場の方へ赴く。ギャビーが急きょ船に乗ってフランスに帰国することを知り、自分もその船に乗ってフランスへ帰ろうと決意したのだ。ところが、情婦のイネスが、その辺の事情を洗いざらいスリマンにばらす。彼女は嫉妬に狂って、ペペをギャビーに取られるくらいなら、スリマンに売った方がましだと思い込んでしまったのである。

こうして波止場で警察に捕まり、手錠をかけられたペペは、出航する船に向かって、大声で叫ぶ。しかしその叫びはギャビーの耳には届かない。絶望したペペは、警察の眼を盗んで、ナイフで腹を切って自殺してしまうのである。

この簡単な粗筋からも、この映画がペペの独り舞台と言ってよいほど、男の視点から描かれていることがわかろうというものだ。ペペは決して、大した人物としては描かれていない。彼はたしかにカスバの住人達から愛されているが、それは彼の人格によるというよりは、彼の気前良さによるものだ。その気前良さを維持するためにも、ペペは仲間と組んでいまでも強盗をするような人間として描かれている。要するにヤクザ者だ。そのヤクザが一人の女に惚れ、頭がのぼせ上った挙句に、自分から敵の罠の中に飛び込んでいく。それほどこの男を狂わせてしまったのは、女への愛と言うよりもパリへの「望郷」の念だった、というのが、この映画の骨格なのである。

それはおいて、この映画の魅力の一つに、カスバの街並みの描写がある。カスバはアルジェの旧市街の一部で、全体が迷路のようになっている。その雰囲気を生かそうとして、デュヴィヴィエは、セットではなく現地ロケでこの映画を作った。それゆえ、町の雰囲気が現物そのものからストレートに伝わってくる。それが何ともいえずエクゾチックなのだ。デュヴィヴィエは、「地の果てを行く」もモロッコの現地ロケでとっており、「白い処女地」なども合わせて、ロケ撮影が好きだったようだ。

カスバには、現地人のほかフランス人も多数暮らしていた。その多くは、ペペ同様に因縁のある過去をもっていたようだ。ペペの仲間のひとりカルロスも、ペペ同様お尋ね者で、やはり町の中に出ていったところを警察に捕まってしまうのだが、彼を町に赴かせた理由も、故郷への望郷の思いだということになっている。そのカルロスの女房は、昔はシャンソン歌手だったということになっている。その彼女が、自分の昔の曲のレコードをかけながら、夫の身の上を案じる。シャンソンの歌声と彼女の顔の表情とがミックスして、何とも言えない雰囲気を醸し出す。

こんな何気ないところにも神経を使う、というのがデュヴィヴィエのデュヴィヴィエらしいところで、そこがまた日本人に受ける大きな理由ともなったのだと思われる。





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