壺齋散人の 映画探検
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ミモザ館(Pension Mimosas):ジャック・フェデー



ジャック・フェデー(Jacques Feyder)の「ミモザ館(Pension Mimosas)」は評価が極端に別れる作品だ。一方では、人間の心理的葛藤を描いたリアリズムの傑作だとする評価があり、他方では、トリュフォーのように、フランス映画の最も忌むべき系譜の手本のような作品だとする意見もある。どちらにせよ、フランス映画を語る際には、避けて済ませられない作品だと思う。

この映画が、フランス人をいらいらさせるとしたら、それは恐らくテーマの異様さに起因するのだと思われる。この映画は、簡単にいえば、息子を巡る嫁と姑の葛藤を描いているのだが、これは我々日本人にはなじみの深いテーマである一方、フランス人にはなじみがないというか、まじめに取り上げるに値しない、馬鹿馬鹿しいテーマなのだ。フランス人にも、日本で言うところの嫁と姑の対立というのは、現象としてはあるのだと思うが、それは表向きにも裏向きにも恥ずかしいことなのであり、まして映画のテーマとして取り上げるようなことではない。それをあえて取り上げたフェデーは、タブーを破った野蛮人のように、一部のフランス人には思われるわけであろう。

フェデーも、その辺は判っていて、この映画を作ったのだと思う。だが、嫁と姑の対立をテーマにしながらも、それをまともに取り上げるのはちょっと格好悪い気もする。だから、息子と母親との関係を、本当の母子ではなく、孤児と名づけ親の関係ということにし、息子とその嫁との関係も、ふしだらな男女の間柄という形に置き換えたうえで、母と息子の関係に、親子の情愛の外に男女の性愛の要素を付け加えた、というわけなのであろう。

舞台は、南仏の都市ニースにある「ミモザ館」という名の小さなホテル。夫婦二人で経営しているが、亭主(アレルム Alerme)のほうは市営カジノの管理人を兼務しているので、実質的には女房ルイーズ(フランソワーズ・ロゼーFrançoise Rosay )のほうが切り盛りしている。この夫婦は、ピエールという身寄りのない少年を育てている。この少年のことを二人は深く愛しており、特に女房の方は実の子のように可愛がっていたのであるが、ある日、少年の父親が引き取りに現れる。彼は刑務所に入っていたのだが、模範囚ぶりを評価されて刑期が短縮されたというのだ。

悲しい別れから10年が経った。少年(ピエール Paul Bernard )はいまや22歳の青年になっている。彼は父親と共にパリで暮らしていたのだが、その父親は死んで、今は一人だ。彼が時折、夫婦の所に金の無心をしていたことが仄めかされるが、またもや無心の手紙をよこしてくる。手紙の文面から、ピエールの堕落ぶりを読み取ったルイーズは、彼を引き取ってまともな人間に更正させようと決心する。

ルイーズはパリに出てピエールを訪ねる。果してピエールは、いかがわしい環境に囲まれて、危険な目にも会っているようだ。それを見たルイーズはピエールに、一緒にニースへ帰ろうという。だが、ピエールにはネリー(リーズ・ドラマール Lise Delamare )という恋人がいる。ピエールはこの女に手を出したことで、ヤクザ者から痛い目にあったりしている。それを見たルイーズは、ピエールとネリーを一緒にさせておくことに強い不安を覚える。こうして、ルイーズとネリーとの関係は最初からすれ違ってしまうわけだが、その擦れ違いは次第に距離が開いていき、最後には破局に至る。

ピエールの懇願に負けて、ルイーズは彼とネリーが一緒にミモザ館で暮らすことを認める。ピエールは、彼女と幸福な結婚生活を築きたいと思うようになり、心を入れ替えて堅気な生活をするようになる。一方ネリーの方は、あいかわらず派手な生活への未練が捨てきれない。そんなわけで、ネリーのツケがルイーズのところに回って来るが、彼女はそのたびにツケを払ってやる。時には、自分の持ち物を売り払ったりして。

ピエールはすっかりネリーの尻に敷かれているとルイーズの目には見える。彼女は最初からネリーが気に食わなかったのだが、その気持ちがだんだんと強くなって、ついにはネリーを深く憎むようになる。その挙句、ネリーの情夫だったヤクザ者に電報を打って、ネリーの居場所を密告するのだ。ヤクザ者はすぐにやって来る。その時ピエールは出張に出かけていて留守だった。帰って見るとネリーの姿がいない。書置きを読むと、ヤクザ者に連れ戻されたと書いてある。ピエールは、誰がヤクザ者に知らせたのだと叫ぶ。ルイーズは自分だと名乗る。あなたのためにやったことなのよ、と。

ところでピエールは、出張の帰りにニースのカジノに立ち寄って、会社の金を7万フランもすってしまっていた。そんな金は、ルイーズには工面できない。そこで彼女は一計を弄して宿泊客から金をあずかり、それを元手にカジノで博打を打つ。運が良かったのだろう、彼女は30万フランもの金を手にする。それがあれば、愛するピエールを破滅から救ってあげられる。

しかし、その金を持ってミモザ館に帰ってきた彼女を待っていたのは見たくない光景だった。ピエールが服毒自殺を図ったのだ。こうしてルイーズは、この世で一番大切なものを失ってしまった。

こんなわけでこの映画は、(血のつながっていない)息子に対する(名づけ親という立場の)母親の一方的な愛を描いている。それは一方的である点で救われない愛であり、また、息子の恋人に敵対する点で破壊的な愛である。そういう愛は、古来フランス人にはなじみのないものだったに違いない。そこがこの映画に対する評価を複雑にさせる最大の要因なのだろう。

なお、この映画の見どころの一つにカジノの描写がある。フランスは伝統的なカジノ大国で、カジノは昔からフランス国中どこにでもあった。カジノといえばいかがわしい連中のビジネスといったイメージがあるが、この映画に出てくるカジノは市営だ。だから、カジノの管理人を務めている亭主は公務員ということになるのだろうか。それでも、カジノが賭場として、魔術的な雰囲気をもっていることには間違いない。その魔術は、少年ピエールを夢中にさせ、学校友達から小遣い銭を巻き上げることもさせるし、青年になったピエールが、藁をもつかむ気持ちで運を求め、かえって見放されて死なねばならない羽目にもなる。その一方で、ルイーズに巨額の金を恵んだりもする。実に多義的なものとして描かれている。





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