壺齋散人の 映画探検
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河(The River):ジャン・ルノワールのインド映画



ジャン・ルノワール(Jean Renoir)はナチス占領下のフランスを逃れてアメリカに渡り、戦中から戦後にかけてハリウッド映画を作った。そしてフランスに戻る前にインドに立ち寄り、ガンジス川を舞台にした抒情的な映画を作った。「河(The River)」である。プロデューサーはイギリス人で、言葉も英語(かなりブロークンな)だが、一応インド映画ということになっているようだ。フランス人のルノワールが、このような映画を作ったわけは、ルーマー・ゴッデンによる原作のリリシズムに感銘をうけたからだという。

舞台はガンジス川流域。ベンガル地方のある小さな村。そこで黄麻工場を営むイギリス人の家族を中心にして、映画の世界は展開していく。一応筋書きらしいものはあるが、この映画の見どころは物語ではなく、ガンジス川の悠々たる流れを中心にして、色彩豊かなインドの自然と、そこで展開されるインドの季節ごとの行事が紹介されているところにある。この映画を見た人々は、インドの自然やインド人の生活感情について、強く印象付けられるのを感じるだろう。この映画が高い評価を得たのは、そういう事情によるのではないか。

イギリス人の工場主の家には、18歳の女の子(ヴァレリー)を筆頭に、6人の女の子と一人の男の子がいる。その中でハリエットという14歳の少女が、この映画の主人公だ。この映画は、ハリエットの目線から見たインド社会と、そこで日々展開される生活とが、ハリエット自身のナレーションという形をとって紹介されていくのである。

この一家の隣には、イギリス人の隣人が住んでいる。その主人は現地の女性と結婚したということになっており、したがって一人娘は混血だ。その娘(メラニー)がイギリスでの留学生活を終えて戻ってくる。彼女はいまや、インド人としてのプライドに目覚め、服装もイギリス風ではなく、インド風にサリーを着ているといった具合だ。そんな娘の振る舞いを、父親は大目にみてやる。

この隣人のところに、血縁の青年(ジョン)がやって来る。彼は、アメリカ人の退役軍人で、戦争で足を負傷し義足を嵌めている。そして、現実社会に対してかなりなコンプレックスを持っている。そんな青年に、思春期を脱した二人の娘(ヴァレリーとメラニー)とハリエットが強い興味を抱く。ヴァレリーの興味はやがて恋愛感情にまで発展するが、メラニーのほうは複雑な思いだ。これに対してハリエットは、まだ思春期の少女として、自分の感情をコントロールできないでいる。

このような人間関係の周りに、インド社会の様々な行事や習俗が展開していく。光の女神カーリーを祭るというデイワーの祭、学問と芸術の神様を祭るサラスヴァティーの祭、あるいはクリシュナとラーダの踊りなどといったものが、色彩豊かに紹介される。これらを見ているだけでも、十分に満足できるようになっている。

その一方で、インドのマーケットの風景、船上生活者たちの様子なども紹介される。これらの船上生活者たちは、川の上で生まれ、船で一生を過ごした後、死後は川に葬られるというのである。

最大の見どころは、ハリエットがジョンを相手にクリシュナとラーダの物語を語って聞かせるところだ。彼女は秘かに日記をつけており、そのなかに自分なりに興味を抱いたインドのさまざまな風俗を、叙事詩に描いていたのだった。その叙事詩をハリエットが読み上げ、それに伴って俳優による演技が展開されるのだが、その演技の中で、メラニーがラーダに扮し、彼女と親しい土地の若者アニーがクリシュナに扮する。ラーダはクリシュナと結婚できる喜びを身体全体で表現する。インド人の女性の愛は、世界で最も深く強いのだといいながら。その踊りぶりが実にすばらしい。

ハリエットがジョンに夢中になっている間に、弟のポギーはコブラに夢中になっていた。彼は、マーケットでコブラ使いがコブラを自由に操るのを見て、自分も同じようなことをしたいという強烈な衝動に囚われてしまったのだ。そこで、コブラを見つけては笛を鳴らし、それにコブラが反応するところを見ては楽しんでいたのだが、ついに誤ってコブラに噛まれ、それがもとで死んでしまう。死んだポギーは小さな木の棺に納められ、ガンジス川に運ばれていく。彼もまた、インドの風習に従って、ガンジス川に葬られるのだ。

弟の死にショックを受けたハリエットは、自分もガンジス川の水に沈んでしまいたいと思うようになる。そんな彼女にジョンが寄り添い、生きることの素晴らしさについて語り聞かせる。そのジョンもまた、自分自身生きる気力を取り戻していくというわけなのだ。

ポギーが死んでまもなくして、それと入れ替わるように新しい子どもが生まれる。またもや女の子だ。その子の誕生をきっかけにして、ハリエットの一家も新たな時を生きるようになるだろう。そのようなメッセージを残して映画は終わる。

このように、この映画は、思春期の少女の感受性を織り交ぜながら、インド的なものを存分に描き出している。インド的なものそれ自体がエキゾチックな雰囲気をかもしだすところに、思春期特有のセンチメンタリズムが味を添えているので、映画のリリシズムは相当なものになっている。





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