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アンドレ・カイヤット「眼には眼を」:イスラム教徒の復讐



「眼には眼を(Oeil pour Oeil)」とは、復讐を奨励するイスラムの格言だが、これを題名としたアンドレ・カイヤット(André Cayatte)の映画は、ヨーロッパ人を対象としたイスラム教徒の復讐をテーマにしたものだ。イスラム教徒の復讐は、執拗で陰惨だとのイメージが欧米人の頭には染み付いているといわれるが、この映画は、そんな偏見を強化するにあたって一役買ったと思われる、いわば歴史的な作品だ。

この映画に出てくるイスラム教徒の復讐は、とにかく執拗でかつ目を覆いたくなるような陰惨さだ。その執拗な復讐を受けて、一人のヨーロッパ人が、肉体的にも精神的にも崩壊していくさまが冷徹な視点から描かれている。復讐の方法や手段が並みの想像力を超えたスケールなので、見ているほうはまるでサスペンスドラマを見ているような気にさせられる。フランス映画にしては実に珍しいタッチの映画だといえよう。

フランス製のサスペンスドラマとしては、アンリ・ジョルジュ・クルーゾの「恐怖の報酬」が有名だが、この「眼には眼を」は「恐怖の報酬」より一年前に公開された。「恐怖の報酬」で出てくる性格派の俳優フォルコ・ルリが、この映画の中でも、復讐の鬼と化した準主演格のキャラクターを演じている。

舞台は中東の小都市(クレヂット情報ではシリアということになっているらしい)。そこに腕のいい外科医がいる。その外科医が非番になって自宅でくつろいでいるところに、病人をかかえた男が診療を請いにやってくる。外科医は門番を通じて、病院へ行けといってその男を追い返す。ここから物語が始まる。

翌日病院に出勤した外科医(クルト・ユルゲンス Curd Jurgens)は、同僚の医師から、昨夜一人の女性を開腹手術したが、子宮外妊娠がこじれて手の施しようがなく、死なせてしまったとの話を聞く。どうやらこの死んだ女性というのが、昨夜自分が追い返した患者らしいのだ。

外科医をめぐって不審なことが立て続いて起こる。無言電話が何度もかかってきたり、自分の部屋の窓の外に不審な車を停められたり、悪質な付きまとい行為が重なるのだ。外科医はそれをやっている男が、どうやら先日追い返した男ではないかと思い始めるが確信はない。そうこうしているうちに、その男と接点ができる。変なきっかけでその男に金を借りる事態に陥り、それを返そうとして、その男の行方を求め続けるはめになるのだ。

外科医は、車で移動中の男(フォルコ・ルリ Folco Lulli)を追跡してやっとつかまえることができる。男は娘を連れて、120キロ離れたラヤという町へ行くところだという。追跡中に男の車が破損したので、外科医が自分の車で送ってやることになる。やっとラヤに付くと、ガソリンが切れて動くことができない。そこで、ガソリンの手配ができるまで、外科医は男の家に泊まることになる。翌日ガソリンの手配はできたが、遠く離れたタローマという集落で瀕死の怪我人がいるから助けて欲しいと言う話を聞き、外科医は職業的な良心から、そこへ出かけることにする。

しかし、その集落で外科医を待っていたのは、惨憺たる状況だった。怪我人のところへいって診察し、化膿止めの注射を打とうとすると周りのものから邪魔される。注射は神への冒涜ということらしいのだ。そこで、帰ろうとして車のところに戻ると、子供たちが車に群がっていて、タイヤを抜き取り、どこかへ持ち去ってしまっている。途方にくれた外科医は、喫茶店に入って様子を伺うのだが(ここでも地元民から嫌がらせをうける)、どうやらここから自分の町までバスが出ているらしいことがわかる。だが、バスはいくら待てどもやってこない。事情を詳しく聞こうにも、言葉が通じず、外科医のいらいらはいや増さるばかりだ。

そんな折に、あの男がやってくるのだ。外科医はついに悟る。これまでのすべてのことは、この男による自分への嫌がらせ行為だったのだと。すべてはこの男が仕組んだ罠で、自分はそれに絡めとられていたのだと。そこで外科医は男に向かって、自分のしたことの意味を話し、男が自分を憎むのは逆恨みだと訴えるのだが、男にどこまで通じているのか、まったく心もとない。

バスが当分やってこないことがわかると、外科医は自分の町まで歩いて帰ると言い出す。それを男が不審な表情で見つめる。なにやら、魂胆があるようだ。その魂胆がどんなものか、すぐにわかる。歩いていく外科医の後を男がつけてきて、町まで近道があると誘惑するのだ。その近道とは、砂漠の中の道なき道だ。現地を熟知した者でなければ行けるものではない。場合によっては死ぬこともある。そんな状況の中で外科医は、何の気の迷いか、男と行動を共にすることを選ぶ。近道という言葉に動かされたのだ。しかしそれは、言葉を変えれば、自分の命をこの男に預けるということを意味した。男はいまや自分の手中に握ったも同然の外科医の運命を、心ゆくまで弄ぶというわけだ。

こんなわけで、広大な砂漠の中で二人きりになった外科医と男とが、壮絶な人間ドラマを繰り広げる。外科医の苦悩する姿を見て、男は自分の復讐心が満足されることに喜びを感じる。そして最後には、自分の手を汚すことなく、外科医を死の方向に追いやる。巧妙な芝居を打って、外科医を一人だけで砂漠の中に放り出すのだ。だまされた外科医は、広大な砂漠のなかをあてもない方向へと歩いていく。その疲れ果てた外科医の姿を上空から鳥瞰的に映し出した場面をみると、この外科医の運命がまったく開かれていないことが、観客にはありありと迫ってくるのである。



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