壺齋散人の 映画探検
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ルネ・クレマン「鉄格子の彼方」:殺人犯の恋



ルネ・クレマン(René Clément)の映画「鉄格子の彼方(Au-delà des grilles)」はフランス・イタリア共同作品という形を取っている。だから両国で同時公開された。イタリア語でのタイトルは Le mura di Malapaga(マラパーガの壁)という。会話はフランス語を中心とし、それにイタリア語がからむ。というのも、フランス人がイタリアの都市で繰り広げる行動が映画の内容だからだ。

筋書きは至って単純だ。フランスで殺人を犯した男が、船で逃走の途次イタリアの都市ジェノヴァに上陸し、そこで知り合ったイタリア女と恋に陥るが、結局は追跡してきたフランスの警察に捕まってしまうというものだ。逃走中の男の恋と言う点で、カルネの「霧の波止場」、デュヴィヴィエの「望郷」などと同じ系列に属し、男女の情熱的な恋と言う点ではフランス・メロドラマの伝統につながる作品である。フランスでは、このような映画を作ればまずまずの興行結果が期待できるとあって、似たような作品が次から次へと作られたのだが、ルネ・クレマンもその轍を踏んだというわけだろう。

主人公はジャン・ギャバン(Jean Gabin)演じる初老の男ピエール。彼は、フランスで殺人事件を引き起こし船で逃走する途中、歯痛に耐えかねてジェノヴァで下船する。言葉がわからないで困っているときに、一人の少女が援助を買って出る。この少女はフランス生まれで、フランス語を話すことができ、フランスからやって来たこの男に親近感を覚えたのだ。この少女を介して、ピエールは少女の母親マルタ(イザ・ミランダ Isa Miranda)と知りあう。彼女は、別れた亭主に付きまとわれ窮地に陥っていたが、そこをピエールに助けられたのがきっかけで、二人は愛し合うようになる。しかし、ピエールは殺人罪のために警察に追われる身だ。それでもマルタはピエールを見捨てない。こうして初老の男と子持ちの中年女との激しい愛が燃え上がるのだが、結局ピエールはフランス警察に捕まってしまい、二人の恋はかりそめの愛に終わる、というわけなのである。

映画の最大の見どころはイザ・ミランダの演技だろう。働いているレストランにやってきたピエールに何となく親近感を覚えた彼女は、ピエールが金を持っていないことを承知の上で飯を食わせてやる。その後、ピエールと娘のチェキーナが知りあっていたことを知る。そこへ別れた亭主が現れて娘を連れ去ろうとする。窮地に陥った母娘をピエールが助けたりするうちに、マルタのピエールへの愛が燃え上がるのだ。この、出会いから激しい恋の炎が燃え上がるまでの過程を、イザ・ミランダは心憎い演技ぶりで演じていた。彼女はこの演技を買われてカンヌ映画祭の主演女優賞などを獲得した。

チェキーナ(ヴェラ・タルキ Vera Talqui)の行動ぶりも大きな見ものだ。彼女は当初ピエールに親近感を覚えていたが、母親がピエールを愛するようになると、ピエールを憎むようになる。それは、愛する母親を他の男に取られることへの不安と嫉妬がそうさせるのである。だが、二人の愛が強く、また警察の手がピエールに迫ってくるのを前にして、ついに二人の愛を認めるようになる。その辺の心の動きが実に繊細に表現されていた。こんなところが、この映画を単なるメロドラマを超えたものにさせている理由だろう。

ジャン・ギャバンの演技は相変わらずだ。頭が白くなって初老の風情を漂わすようにはなっているが、ギャバン一流のダンディぶりにはいささかも変化がない。だからこそ、老いてなお女に愛されるというわけであろう。

映画の舞台となったジェノヴァの街は、第二次大戦の傷跡をいまだに感じさせていた。この映画が作られたのは1949年のことだから、イタリアはまだ復興途上であり、ジェノヴァの街にも戦災の痕が残っていたのだろう。そんな様子が、あちこちに認められた。

なおタイトルにある鉄格子とは、監獄のことではなく、ジェノヴァの港を市街から隔てる壁のことをさすらしい。ジェノヴァは国際港だから、港と市街との間を自由に往来することはできない。往来するには壁(格子状の柵)を通り抜けなければならない。そのためにはパスポートを提示する必要がある。ところが犯罪者のピエールにはパスポートは使えない。そんな事情を「鉄格子の彼方」という題名に込めたようである。



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