壺齋散人の 映画探検
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オルフェ(Orphée):ジャン・コクトー



ジャン・コクトー(Jean Cocteau)の映画「オルフェ(Orphée)」は、ギリシャ神話の中の「オルフェウス」神話を下敷きにしている。妻エウリュディケーを失ったオルフェウスが、冥界まで妻に会いに行く。冥界の王ハーデースとその妻ペルセポネーは、オルフェウスの弾く竪琴に感動し、オルフェウスの願いどおり、エウリュディケーを地上に連れ戻すことを許す。ただしひとつ条件を付けた。地上に着くまでは決して妻のほうに振り返ってはならぬと。喜んだオルフェウスはエウリュディケーを背後に従えて地上へと向かったが、あと少しで地上というところで誘惑に負けてしまい、後を振り返った。するとディオニュソスの巫女たちがやってきて、エウリュディケーを冥界に連れ戻してしまった、というのが神話の粗筋である。

この粗筋は、日本神話におけるイザナキの冥界訪問によく似ている。イザナキも死んだイザナミを求めて黄泉国(冥界)に赴き、そこでイザナミと会うことができた。しかし、イザナミから決して自分の閨を覗いてはならないと条件を付けられる。それでもイザナキはイザナミの姿見たさに覗いてしまう。怒ったイザナミは化け物たちにイザナキを襲わせるが、イザナキは機転を利かせて地上まで逃げ延びることができた。イザナキは地上に着くや、穢れを落すために禊ぎをするが、その禊ぎによって、アマテラスとスサノオとツクヨミの三姉弟が生まれてきた、と言う神話の内容は、日本人には親しみ深いものだ。

細部はいくらか違うが、死んだ妻を求めて冥界に赴くという点では、この二つの神話はよく似ている。コクトーが日本の神話を知っていたかどうかはわからぬが、彼はオルフェウスの冥界訪問神話を下敷きにして、彼なりの冥界訪問神話を紡いで見せた。それがこの「オルフェ」という作品なのだろう。

自分なりの冥界訪問神話というところを強調するために、コクトーはいくつかユニークな演出をしている。神話では、オルフェウスが妻を求めて冥界に行くことになっているが、映画の中では、妻の外に「死の王妃」(ペルセポネーに相当する?)を登場させて、オルフェと王妃とが互いに愛し合うということにした。オルフェが冥界に行くことを決心するのは、妻に逢うことよりも、この王妃に会いたいためなのである。そこがギリシャ神話とコクトーの映画との決定的な違いだ。

オルフェはなぜ、死の王妃を愛してしまったのか。死の王妃と結ばれるということは、人間の身にはありえないことだ。何故ならそれは、自分自身の死を前提にしているからだ。自分も死んで初めて、人間は死の王妃と結ばれることができる。一方、死の王妃は、冥界まで自分を訪ねてきたオルフェを前に、自分もオルフェを愛していることを強く感じる。すると死の王妃には、オルフェをそのまま冥界にとどめておくのが辛くなる。何故ならそれは、愛する人を殺すことを意味するからだ。こんな具合にオルフェの立場は大分こんがらがっている。そのこんがらがりの果てに、オルフェは妻と共に地上で生き直すことを選択する、というのがこの映画の落ち所となっている。

オルフェを演じたジャン・マレー(Jean Marais)は、コクトーの期待に応えて,セクシーな雰囲気を播き散らしている。妻ユリディス(エウリュディケーのフランス語形)はマリー・デア(Marie Déa)、死の王妃はマリア・カザレス(Maria Casares)が演じている。カザレスは、「天井桟敷の人々」の中では、誠実な妻の役を演じていたが、この映画の中では、冥界の王妃の妖怪な役柄を演じている。彼女の派手な顔立ちからして、こういう役柄の方が似合うようだ。また、王妃とオルフェをつなぐ伝令のような役柄ウルトビーズをフランソワ・ペリエ(François Périer)が演じている。ペリエはルネ・クレマンの「居酒屋」の中では、ジェルヴェーズの飲んだくれの亭主を演じていた。とても同じ人物とは思えないほどに、雰囲気が違う。

映画の前半は、オルフェが死の王妃の魅力に取りつかれていく過程を描く。オルフェは詩人だが、詩人としての才能に行き詰まりを感じている。十代の若造にもかなわないと自覚せざるを得ないほどなのだ。それは、詩人としてのインスピレーションが貧しいからだと考えたオルフェは、死の王妃からならそのインスピレーションを得ることができるのではないか、と思うようになる。彼は、このようにして死の王妃に取りつかれていくというわけなのである。

後半は、死の王妃に取りつかれたオルフェが、地上と冥界との間を行き来する過程が描かれる。この二つの世界は、オルフェの部屋にある鏡によってつながっている。オルフェはウルトビーズに導かれながら、この鏡を通じて冥界に行くのである。ところが、妻のユリディスも偶然の事故によって死んでしまい、冥界の住人となってしまう。はじめのうちオルフェは、死の女王に会いたいがために冥界に行くのであるが、その冥界には妻もいるようになる。そこでオルフェは、死の王妃と共に冥界に留まるか、それとも妻を地上に連れ戻すか、選択を迫られる。

オルフェが選んだのは、妻のユリディスと共に地上で生き直すことだった。それには死の王妃の意向も絡んでいる。死の王妃にとって、地上の人間を愛することは許されないことなのだ。その許されないことを犯したことで、彼女には過酷な運命が待ち受けている。それは地上の人間にとっての死ぬことよりも、ずっと残酷なことなのだとアナウンスされる。結局死の王妃は、自分はその残酷な運命に服し、オルフェには妻と共に地上で生き続けることを求める、という風に、コクトーは演出したのであった。

こんなわけで、この映画の最後は(少なくともオルフェの立場からは)ハッピーエンドになっている。

映画のテーマが、神話的世界を扱っていることから、極めて幻想的なのに加えて、コクトー独特の怪異な演出が効を奏して、全体的にファンタスティックな雰囲気に満ちた作品になっていると言ってよい。「美女と野獣」とはまた別の趣がある。





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