壺齋散人の 映画探検
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ブルジョワジーの秘かな愉しみ(Le Charme discret de la bourgeoisie)
:ルイス・ブニュエル



ルイス・ブニュエルが1972年に作った「ブルジョワジーの秘かな愉しみ(Le Charme discret de la bourgeoisie)」は、現代人の虚妄振りを描き続けてきたブニュエルにとって、中間決算のようなものといえる。ここでブニュエルは、現代人の虚妄のカタログから、愚かしさ、不道徳、無信仰といったものに加え、好色、貪欲、暴力といったさまざまな要素を取り混ぜて料理している。まさに七つの大罪のオンパレードといったところだ。ひとつ嫉妬が含まれないのは、飽食した現代人には、嫉妬の感情は無縁になった、とブニュエルが考えたためだろう。

題名から推測できる通り、この映画は飽食した現代人の生活ぶりを描いている。楽しみには公然たるものも無論あるが、あえて「秘かな」と銘打っているのは、彼らにとって楽しみのうちもっとも重要なものが性的な秘儀だという点にあるのだろう。セックスばかりは、やはりどんな時代にも人前で楽しむわけにはいかない。やはり、暗闇とか草ヤブの陰で、ひっそりと楽しむものなのだ。

この映画には成人した六人の男女が出てくる。フェルナンド・レイ演じる主人公の男ラファエルは架空の国「ミランダ共和国」の駐フランス大使ということになっている。この男と、彼のフランス人の友人たちが日々繰り広げるブルジョワ的な快適な生活、それがこの映画のテーマである。主人公を架空の国の人間に設定したのは、フランス人やスペイン人の怒りを少しでも和らげたいという配慮からだろう。なにしろこの映画の登場人物たちは、いずれも不道徳極まりない連中なので、スペイン人にしろフランス人にしろ、こんな連中と同国人と見られるのに嫌悪を覚えるに違いないのだ。

セネシャル夫妻(ジャン=ピエール・カッセルとステファヌ・オードラン)の催した夕食会に、他の四人が招待されて出かける。ところが何かの行き違いで夕食会の準備がされていない。そこで皆は近所のレストランに出かけてゆくが、ここでは経営者がいま死んだばかりで、奥の部屋にその遺体が寝そべっていた。恐縮したセネシャル夫妻は別の日に昼食会を設定するが、その当日俄に性欲を催したセネシャル夫人は、来客をほったらしかして夫にセックスを迫る。お前はよがり声が大きいから家の中でセックスするとばれてしまうよ、と夫が言ってはばかる様子を見せると、夫人は夫を戸外の草ヤブの中に引き込んで、そこでセックスに熱中する。またもやほったらかしにされたほかの四人は、すごすごと引き上げてしまう始末。こんなわけでこの映画は冒頭から、登場人物たちの不道徳な生き方に焦点を合わせている。

フランス人のテブノ(ポール・フランクール)には妻(デルフィーヌ・セリグ)とその妹(ビュル・オジエ)がいる。妹のほうはいくらか頭の弱さを感じさせる。妻のほうはラファエルと不倫の関係にあり、夫のテブノはそれに気づいているが、別に嫉妬するわけではない。ラファエルはテブノ夫人とセックスを楽しむ一方、自分の命を付けねらうテロリストの女にも性的な魅力を感じたりする。君はテロよりもセックス向けにできているといって、女のまたぐらに手を突っ込む始末なのだ。

ともあれ、この六人をめぐってさまざまな出来事が生起する。面白いのは、軍隊とか軍人たちとかが大きなウェイトを占めることだ。中尉と称する軍人が女たちの前に現れて自分の生い立ちを語るとか、六人で食事をしていたところにフランス軍がいきなり侵入してくるとか、そこで伍長が自分の見た不思議な夢を語るとか、大佐に招かれたパーティの席上、大佐の侮辱に怒ったラファエルが大佐を射殺するとか、軍人にまつわるエピソードが多い。ブニュエルが何故軍隊や軍人に拘ったか。そこはよくわからない。

ハイライトは、六人がフランスの警察に逮捕される場面だ。何故彼らが逮捕されたか、警察は逮捕理由を言わないのだが、どうやら麻薬の密売容疑らしいことは伝わってくる。映画の冒頭で、男たちが麻薬の密売をめぐって鳩首する場面が出てくるから、彼らが麻薬を通じて結びついた仲だとは、うすうす感じ取ることができるようになっているのである。

また、神父が自分の親の仇を銃で撃ち殺す場面もショッキングだ。この神父はどういうわけか、サイドビジネスとしてセネシャルの屋敷の庭師をしていたのだが、死にかけた男の懺悔を聞くように依頼される。依頼した中年の小女(ブニュエル映画の常連)が、わたしはイエス・キリストが大嫌いなのです、と叫ぶシーンが印象的だ。それに対して神父は、諌めるでもなく、瀕死の床に横たわる老人を無慈悲にも撃ち殺すのだ。六人が逮捕される場面はその直後に来るので、観客は当初、この殺人事件が彼らの逮捕に関係しているのだろうと錯覚させられるほどだ。

場面はスムーズに交代してゆくが、その間には必ずしも密接な関係はない。かといって、全く荒唐無稽というわけでもない。あるかないかわからぬような小さな要素を手がかりにして、場面相互がなんとかつながりを感じさせると言った具合で、その辺は、ブニュエルのブニュエルらしい演出ぶりといえよう。

この映画の中では、聊か荒唐無稽さを感じさせる場面についで、それが実は夢の中の出来事だったというメッセージが流れるシーンがいくつか出てくる。しかも手の込んだことに、映画の最後になって、この映画が実はすべてラファエルの夢の中の出来事だったと思わせるようなトリックが出てくる。夢を絡ませることは、「昼顔」でも採用されていた手法だが、この映画はそれを大規模に実施して見せたというふうに思わせる。





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