壺齋散人の 映画探検
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恋人たち(Les Amants):ルイ・マル



ルイ・マルの1958年の映画「恋人たち(Les Amants)」は、欲求不満の女の男遍歴を描いた映画である。フランス女の尻軽ぶりはフランソア・ラブレーの時代から深刻な社会問題であり、フランスでは女房を寝取られたことのない男はほとんどいないほどだった。女が浮気をする理由はいろいろあるが、たとえば亭主の性的能力が低いなど、亭主の側に一定の責任がある場合には、妻の浮気は大目に見られたようだ。だからこそフランス男は、妻を退屈させないようあらゆる努力を払わねばならなかった。そんな努力もせずに女房を寝取られても、それは亭主の側に大きな責任があるとみなされ、妻が厳しく糾弾されることはなかったようだ。と言っても、妻の浮気をおおっぴらに認めるわけにもいかず、それを抑止する法的な制度として姦通罪を発明したのもフランス人だった。

この映画では、ジャンヌ・モロー演じる中年女が夫に対する不満から不倫を重ねる場面が描かれている。最初の相手は背の高いブルジョワ男で、ポロのゲームが好きだ。そのポロをする姿がセクシーだったので、ジャンヌは彼と寝る気になったのだった。そんなジャンヌを友人の女が煽る、「恋はあなたを別人にしたわ」と言って。ジャンヌのほうも、「わたしは別人になりたかったの」と言って、自分の行為を合理化する。

しかし彼女の前に、別の若い男が現れると、ジャンヌの心は彼のほうに移る。この男とはパリからディジョンに戻る途中で出会ったのだが、その夜に自分の家で開いたパーティにその男を招いたばかりか、ジャンヌはその男と早速寝てしまうのだ。男に気を引かれたときのジャンヌの言い草がふるっている。「恋は眼差しから生まれる」と言うのだ。男に見つめられるとつい下半身もしびれてしまうというわけだろう。そこで彼女は、「人は幸福には逆らえないもの」といって、その幸福に身悶えるのである。

そんなジャンヌを夫(アラン・キュニー)は覚めた目で見ている。いまさら焼餅を焼いても仕方がないといった具合に。この男は新聞社を経営していて、彼なりに忙しく、妻のために勢力を割くわけにはいかないのだ。だから妻が他の男と適当に気晴らしすることは、それが行き過ぎた行為にならない限りは、大目に見ようと考えている。しかし妻のほうでは、行き過ぎた挙句に一線を超え、自分の手許から去ってしまうと言うわけなのだ。妻は夫と自分の住んでいる家で若い男と一夜を同じベッドで明かしたあと、二人でそのまま家出してしまうのだ。まだ幼い子供まで捨てて。

随分ひどい女というべきである。こんな女は日本では決して見かけることがない。日本の女は、かりに不倫に走ったとしても、夫や世間の目をはばかり、必死になって秘密にしようとする。ましてや、夫が寝ている家の中で、ほかの男に尻を抱かせるなどと言うことは決してしない。

フランス女の淫乱ぶりはかくの如くひどいのであるが、それでもスクリーンの中でそんな淫乱振りが描かれてきたことは殆どなかった。フランス人は淫乱でありながらかつ欺瞞的でもあるので、自分の淫乱な行為をオブラートにつつんで隠そうとする。淫乱な行為は秘かに楽しむものであって、おおっぴらにするものではないわけだ。ところがルイ・マルは、それをおおっぴらに広げて見せた。これはフランス映画ばかりでなく、世界の映画の歴史の中でも画期的なことではなかっただろうか。このあと、1960年代には男女の肉の交わりをあけすけに描く作品が続出するが、それらはみな、ルイ・マルのこの作品に強く煽られたといえるふしがある。

もっともこの映画では、なまなましい性交の場面は出てこない。男女の性交はそれとなくほのめかされるだけである。ルイ・マルとしても、一気にそこまでゆくには、世間の抵抗が強すぎると読んだのだろう。

ところでこの映画の中でジャンヌが笑うときに、ハハハと声を立てて笑うところが面白い。フランス語は英語のHにあたる音を持たないのだが、それは語彙についてだけの現象で、笑うときにはその音が自然と出てくるようだ。

ともあれブルジョワ女の不倫を描いているという点では前作の「死刑台のエレベーター」と共通するものがある。「死刑台のエレベーター」では、男は間抜けな存在として描かれていたが、この映画の中の男たちもあまり利口ではない。女の欲望の相手をさせられている憐れな存在という印象が伝わってくる。





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