壺齋散人の 映画探検
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ルイ・マル「地下鉄のザジ」:大人をきりきりまいさせる少女



ルイ・マルの1960年の映画「地下鉄のザジ(Zazie dans le métro)」は、日本語でいう「どたばた喜劇」の傑作である。どたばた喜劇を英語では「スラップ・スティック・コメディ」というが、これは「おしおき棒」という語源から推測されるように、人間の身体を痛めつけるような派手なアクションを売り物にした喜劇だ。サイレント時代のハリウッドで盛んに作られ、チャップリンとかバスター・キートンとかがその代表選手になった。フランスでは、ルネ・クレールがスラップ・スティック・コメディの手法を取り入れ、軽快な喜劇映画を多く作った。ルイ・マルは、その喜劇の伝統をよみがえらせたわけである。

とにかく、理屈抜きで面白いし、見ていて時間の流れるのを忘れるほど楽しい。あまり楽しいので、映画が終わったあとは、深い喪失感を覚えるほどだ。

コメディでも一応筋書きはある。新しくできた男とのデートを楽しみにパリに出てきた女が、自分の兄弟に娘を預ける。預けられた娘(これがザジという名前なのだ)は、何故かパリの地下鉄に乗りたくてたまらない。しかしパリの地下鉄は目下ストライキ決行中で閉鎖されている。そこで地下鉄にかわる憂さ晴らしを求めて、娘はパリ中を駆け回る。その過程で奇想天外なドタバタ劇が展開されるというのが、この喜劇映画の基本プロットだ。

ザジは十歳の子どもということになっているが、それを当時十二歳のカトリーヌ・ドモンジョが演じている。彼女は実際の年より幼く見え、叔父であるガブリエル(フィリップ・ノワレ)に抱かれると、五歳か六歳くらいに見える。この叔父というのが、エクゾティックな顔立ちをした美しい女性(カルラ・マルリエ)を妻に持っているのだが、どうやらおかまとして描かれている。おかまだから性的なアグレッシブさは感じさせない。性的なアグレッシブさを感じさせるのは、ふとしたことからザジと知り合いになった不思議な男だ。この男は、警察官を自称し、実際警察の制服を着てもいるのだが、どうやらロリコンらしく、ザジに性的な興味を抱く。ザジは利口な子だから、この男の本心を見抜き、さんざんにからかってやる。

からかわれた自称警察官は、別に怒るわけでもなく、ザジのいる家の美しい女カルラに性的な衝動を覚えたかと思うと、街で出あった中年女の性的な衝動の対象になったりする。そんなわけでこの映画の大部分は、この自称警察官とザジが繰り広げるドタバタ・シーンの連続からなるのだ。そのどたばたシーンというのが、スラップ・スティックの歴史を踏まえ、ありとあらゆる身体サーカス演技を取り込んでいる。この映画を見ると、スラップ・スティック・コメディのアクション型の一覧表というべきものを実見することができるだろう。

最後に盛大などたばた騒ぎが展開され、それが一段落したところで、地下鉄のストライキが中止される。そこで始めてザジは地下鉄に乗ることが出来る。無論叔父に切符を買ってもらい、それを改札員に差し出すのだが、その改札員というのが、例の自称警察官だったりして、最後まで観客を面白がらせてくれる。

なお、ザジが叔父とともにエッフェル塔に上るシーンがあって、その中でおじがエッフェル塔の一番高いところまで裸のエレベーターでのぼるところだとか、ザジが運転手の男と一緒にエッフェル塔の工事用螺旋階段を下りてくるところが映されるのだが、それが何ともすさまじい。無論トリック撮影なのだろうが、高所恐怖症ぎみの筆者などは、思わずめまいを覚えたほどだ。とにかく人騒がせな映画である。



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