壺齋散人の 映画探検
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鬼火(Le Feu follet):ルイ・マル



ルイ・マルは、一作ごとに全く趣向の異なった映画を作るので、とらえどころのない作家といえる。1963年に作った作品「鬼火(Le Feu follet)」は、精神を病む男の自殺を描いたものだが、以前の作品とは全くつながりを感じさせない。殺人映画のパロディである「死刑台のエレベーター」、男女の奔放な性愛を描いた「恋人たち」、ナンセンスなスラップスティックコメディ「地下鉄のザジ」といった先行作品と、これは全く似たところがない。一人の作家がこれらの作品群を手がけたとは思えないほどである。

この映画はアルコール中毒の治療のためにヴェルサイユの精神病院に入院している男が、自殺を決意したあと、昔の友人たちとの別れを惜しみ、病院の自分にあてがわれた一室でピストル自殺をするまでの二日間を描いたものである。まず、この精神病院というのが、日本の常識とは随分違う。日本の場合には、周囲から切り離された空間、多くは森に囲まれた静かなところで、患者は世の中の動きから隔絶されて、場合によっては独房のようなところに収容されているといったイメージだが、この映画の中の精神病院は、ヴェルサイユの市街地のど真ん中にあって、近隣の住民生活と隣り合わせに存在している。病院内部は、病院というよりもホテルのようであるし、実際主人公の男がいる部屋は、高級ホテルのスイートルームのようである。恐らくブルジョワ向けの高価な病院なのだろう。

自殺を描いた映画は数多くあるが、この映画の場合、主人公の自殺の動機がよくわからない。一応冒頭の部分で自殺の理由をほのめかす場面はある。女とベッドをともにした男(モーリス・ロネ)が、女から「あなたはだめなのね」と言われる。それに対して男は「自分がいやになる」と答える。つまり男は性的不能者で、そのことを女から馬鹿にされ自己嫌悪に陥った、それが自殺の動機ではないかと観客に思わせるところからこの映画は始まるのである。

普通の男なら、性的不能を理由に自殺などしないと思うが、この男の場合にはアルコール中毒のためにアルコール譫妄に陥っている可能性が高いこと、また深刻なうつ状態に陥っているようでもあるので、自殺すること事態には不自然さはない。人間というものは往々にして、些細なことから自殺するものなのだ。

それにしてもこの男は、決然とした意思を以て自殺の決意をし、そのあと昔の親しい友人たちを訪ね歩いたりして、それなりに自分の人生を総括したあとで、冷静な精神状態で自殺するところがすごい。しかも自殺の方法ときては、拳銃を自分の心臓にあてて、あたかも手仕事をしているかのように、淡々として引き金を引くのだ。

男はヴェルサイユからパリに出向き、一日かけて昔の友人たちを訪ね歩く。まず、女に貰った小切手を銀行で現金に変える。その際銀行員が窓口で札を数える動作がいかにもフランス的だ。両手で札束を大げさに抱え、両手の指をフルに使って、一枚一枚札をめくっては数えてゆくのだ。日本の銀行でこんな動作をする銀行員はいない。彼らは実に手際よく札を数える。しかも一枚づつではなく、数枚づつ数えてゆく。フランスの銀行員が見たら目を回すに違いない。

男が最初に訪ねるのは若い頃の友人だ。その友人はいまや妻子とともに幸福な生活をしている。その幸福を男は偽の幸福だと感じる。だから話はかみあわない。次に画廊を訪ねて友人の芸術家らしい女(ジャンヌ・モロー)と会う。この女は先ほどの男の友人よりは心のうちとけるのを感じるが、やはり理解できないまま別れる。ついで本屋を訪ねて昔の仕事仲間と会う。彼らと話していると男は、生きてることは屈辱だ、と思う。最後に男は、友人たちの開いているパーティの会場を訪れる。この会場には男に気がある女とか、自尊心の塊みたいな男たちがいる。彼らの会話はペダンティックだ。エロティックとはキリスト教的な概念である、などといった議論をしている。それに対して東洋には快楽についての別の概念がある、愛とは快楽の活用をいうのだ、などとも言うのだが、それを聞いた男は、自分にも愛が必要だと感じる。ところが不幸なことに、自分は女に愛されることがなかったし、また自分から女を愛することもなかった、と絶望的な気分に陥る。

この絶望的な気分が男をあらためて搔き立て、自殺を成就させるというわけなのである。

こんなわけでこの映画は、自殺を決意した人間の精神状態がどのようなものなのか、医学的・心理学的な観点から追求した作品といってもよい。ルイ・マルのことだから、映像処理から音楽の活用まで、全編にわたって抜かりがない。ストーリーも円滑に流れてゆく。まるで自殺とはこのようにして成就されるのだと、観客に見本を示しているかのようである。見事過ぎて、自殺への心理的ハードルがなくなってしまうほどだ。





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