壺齋散人の 映画探検
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レベッカ(Rebecca):アルフレッド・ヒッチコック



「レベッカ(Rebecca)」は、アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)がハリウッドで作った最初の作品である。この作品はアカデミー作品賞を受賞し、ヒッチコックにとってはハリウッドでの華々しいデビューを飾るものとなったが、ヒッチコックはその後なぜかアカデミー賞とは無縁になり、作品賞はおろか、監督賞を取ることもなかった。それには、ミステリー映画が格下に見られていたこともあったが、ヒッチコックがハリウッド関係者から傲慢なやつだと思われて、嫌われていたことも作用していたと考えられている。

そんなヒッチコックのこの作品がアカデミー賞を受賞したのは、この作品が単なるミステリー映画の枠に収まりきれない部分を持っていたことと、ヒッチコックがまだ化けの皮を剥がされる前で、ハリウッドの人々にも素直に受け入れられていたこと、などが要因として考えられる。また、この映画には、後に演劇界のスーパースターとなるローレンス・オリヴィエが主演格で出演しているが、彼の独特な魅力を感じさせる演技ぶりも、この映画の魅力をアピールさせた大きな要因になったのではないかと思われる。

この映画は、基本的にはミステリー映画なのだが、ミステリー映画らしくなるのは後半からで、前半部分では、ほとんどミステリーの要素はない。庶民出身の女性(ジョーン・フォンテーン)が、大金持ちの夫人の小間使いとしてモンテ・カルロに滞在中、さる大金持ちの男ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)に見初められて大恋愛に発展する、その男女の洒落た恋のやり取りが前半部分の内容だ。男女の恋のやり取りは、アメリカの観客が最も夢中になるテーマだ。この映画の前半部分は、それを粋なタッチで描いているから、それだけでもアメリカ人の拍手喝さいを得るには十分だったわけである。

ところが、後半部分に入ると俄然ミステリータッチの映画作りが表面に出てくる。ジョーン・フォンテーン演じる女性(なぜか映画の中では名前が出てこない)は、大金持ちの心をつかんで彼と晴れて結婚し、イギリスのコーンウォールにある彼の広大な屋敷に連れられてくるが、その屋敷には不穏な雰囲気が垂れ込めていた。というのも、一年前に死んだとされるド・ウィンターの妻の影が邸じゅうに漂っていて、女性はその影に常に脅かされるのを感じるのだ。この人を追い詰めるような張りつめた雰囲気が、この映画をミステリー映画にしている主な要素なのである。

ド・ウィンターの元妻であった女性の名はレベッカといった。そのレベッカの影が大いなるミステリーとなって映画の登場人物に蔽いかかる。それがこの映画の基本的な構成だ。題名が「レベッカ」とされた所以であろう。

ミステリー映画というのは、観客に向かって最初に謎を提示し、それを次々と解き明かしていくという趣向をとるのが普通だが、この映画は、謎は最後に提示される。したがって、謎を巡るいかがわしい感じは、映画の進行に連れて解消されていくのではなく、かえって段々と深まっていくのである。しかして、クライマックスの段階に至ってそれが突然解消される。それがあまりにも突然に起こるので、観客は目くらましを食らったような感じにさせられる。それは無理もない。というのも、映画の主人公たちにさえも、事態の進展がどうなっているのか、全く見えていないからだ。

そんなわけで、この映画は、ミステリー映画でありながら、演者たちがミステリーを解いていくという通常の方法を取るのではなく、ミステリーが次第に深まって行って、映画を見る者も、それを演じている者も、最後には何も見えなくなる、というような、へんてこな構成になっているのである。

なぜそんなへんてこなことになったのか、それを理解するには、映画を見てもらうほか方法はないが、単純に言えば、映画の主要な登場人物たちが、自分たちの演じている事の意味を理解していないということだといえよう。

ド・ウィンターが催した大規模な仮装パーティの夜に、ド・ウィンターの死んだ妻レベッカの死体を乗せた難破船が、ほかならぬド・ウィンターの邸の海岸で発見される。レベッカは、一年前に船の事故にあって死んだということになっており、その遺体がド・ウィンターによって葬られたということになっていた。そこへ、それを根本から覆すような事態が起こったわけである。

この事態に直面したド・ウィンターは、新しい妻であるこの映画の主人公の女性に向かって、実は自分がレベッカの死体を船に乗せて、海底に沈ませたと告白する。レベッカは、実際には事故で頭を打って死んだのであって、その男が直接手を出したわけではなかったらしいが、男は自分が殺したと思い込んだのだ。その背景としては、男とレベッカとは憎み合っており、男は日頃からレベッカを殺したいと思っていたというような事情があった。だから男は、レベッカが事故で死んだときに、自分が彼女を殺したのだと錯覚した、というように、映画の中ではなっているのである。

これは、いかにも不自然な設定だ。ところが、その不自然さが強引に映画を支配する。男は自分がレベッカを殺したと思い、その告白を聞かされた主人公の女性もそれを疑わないのだが、警察を始め周囲の人物の介入の結果、レベッカは自殺したということになるのだ。何故そんな結果になったのか、映画は納得のある説明はしていない。にもかかわらず、これでよいのだとばかり、映画は突然フィナーレを迎える。

登場人物たち自身も、なにがどうなっているのかまともにわかってないらしいので、ましてや観客にわかろうはずはない、そんな感じの終わり方なのだ。ミステリー映画というのは、普通は、観客にだけは、ミステリーの源泉について納得のできる説明をするものだ。ところが、この映画はその説明をしていない。そんなところが、この映画を、並みのミステリー映画にとどめなかった理由かもしれない。





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