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ヒッチコック「白い恐怖」:女性精神分析医の活躍



アルフレッド・ヒッチコックの1945年の作品「白い恐怖( Spellbound )」は、それまでの彼の作品と比べて、ミステリー映画としての完成度が高いといえよう。少なくともこの二年前の作品「疑惑の影」よりも数段上である。「疑惑の影」では、ミステリーの仕掛けが映画の早い時期に観客に明らかにされてしまったし、また、サスペンスという点でも中途半端だった。それに対してこの映画は、ミステリーの全貌は最後の最後になって初めて観客に明らかになる。また、そこに至るまでの間、スクリーンには緊張感が張りつめている。というわけでこの作品は、ミステリーとしても、サスペンスとしても、申し分がない。

しかも、この映画の中では、フロイトの精神分析が大きな役割を果たしている。精神分析は、第二次大戦中に、精神疾患とりわけ神経症の治療法として普及していたのだが、それを映画に取り入れることで、サスペンスの内実に深みを付け加えることができている。単なる娯楽としてのミステリー映画ではなく、考えさせる映画にもなっているわけである。

主演俳優の魅力も十分に引き出されている。疑惑の影では、ジョゼフ・コットンは何らの魅力をも感じさせず、むしろいやらしさを感じさせたものだが、この映画の中のグレゴリー・ペックは、精神障害者でありながら、それなりの魅力を持った男として表現されている。相手役のイングリッド・バーグマンが一目惚れしたのも無理はない、と観客に思わせるところがある。

この映画は、精神疾患が原因で記憶喪失に陥った男が、殺人事件に巻き込まれて破滅しそうになるところを、彼を愛する精神分析の女医が、救済するという物語である。ストーリー自身は、そんなに手の込んだものではなく、かえって誰もが思いつきそうな単純なものだ。だが、それが映画の形をとると、手に汗を握るような中身の濃い物語になり、しかも、観客をどきどきさせたり、はらはらさせたり、はては考えさせたりと、ミステリーとサスペンスに満ち溢れた作品となる。そこはミステリー映画のマスター・ヒッチコックの腕の見せ所といえるのだろう。

舞台は精神科の病院である。イングリッド・バーグマン( Ingrid Bergman )はその病院で将来を嘱望されている精神分析医だ。その病院の院長が交代することになって、新しい院長がやってくる。それがグレゴリー・ペック( Gregory Peck )だ。ペックとバーグマンは、互いに一目ぼれしてしまう。ところが、グレゴリーには妙な言動が目立つようになる。彼は、白地に黒い線の浮かんだ文様を見るとパニックに陥ってしまうのだ。ペックを愛しているバーグマンは、それが何の徴なのか、少しずつその正体を明らかにしていく。

まづ最初にわかったことは、ペックが本物の新院長ではないということだ。そこでバーグマンは、あなたの正体は誰なのかとペックに問いただす。ところがペックは答えられない。彼は何らかのアクシデントがもとで、記憶を喪失してしまったのだ。そのうち、彼が偽物だということが公になり、本物の院長はどうなったのか、という警察の捜査の動きが始まる。ペックは危険を感じて逃走する。ペックを愛しているバーグマンもその後を追い、二人で、ペックの過去と、彼と本物の新院長の間で何が起こったのかを追求するようになる。

バーグマンは、恩師のブルロフの協力を得て、ペックを精神分析し、彼の過去を少しずつあぶりだしていく。その結果、ペックが深い罪の意識に囚われているのは、彼が少年時代に誤って弟を死なせてしまったことがトラウマになって働いているのだということがわかった。また、彼が白いものを怖がるのは、本物の新院長の死と関係があることがわかった。こうして、少しずつ真相が明らかになる過程で、ペックは新院長を殺してはおらず、新院長はスキーをしている最中事故で死んだのだということがわかってくる。話がここで終ればただのハッピーエンドになったところだが、ヒッチコックは、そう簡単には終わらせなかった。もうひとひねり加えたのである。

ペックとバーグマンの証言に基づいて新院長の事故の現場を検証した警察は、院長の背中に銃弾の跡があったことを根拠に、これを殺人事件と断定し、ペックを逮捕してしまうのだ。ここまでくれば、記憶のあやふやなペックの言い分に耳を傾ける者は一人もいない。それでもバーグマンはペックを信じ、彼の無罪を訴え続ける。

そしてついに、彼の無罪を証明する時がやってくる。新院長は、事故で断崖から転落した後、何者かによって射殺されたのは間違いないが、その犯人はペックではなくて、前院長だったのだ。前院長は新しい院長にポストを奪われることに腹をたて、彼を殺したのである。

このことを明らかにしたのはバーグマンだった。彼女は、ペックを愛する気持ちから、全力を挙げて事件を分析し、ついにこの結論にたどりついたのであった。だから、これは一人の愛する女の執念がなさしめたことなのだ、というようなメッセージを残して、この映画は終わるのである。

これは、イングリッド・バーグマンの知的な美しさが十分に発揮された映画だと言えよう。グレゴリー・ペックのほうは、まだデビュー間もなく、20歳台だったが、時折老練な演技も見せ、後の大スターの片鱗を垣間見せている。そのグレゴリー・ペック演じる精神障害者だが、これはどう捉えたらよいのか。彼は基本的には記憶喪失者という位置づけなのだが、白いものを怖がるところは明らかに強迫神経症の症状だし、また時折支離滅裂な妄想に駆られたり攻撃的な態度を取ったりするところは、統合失調症の症状を思わせる。というわけで、専門家の目から見れば、精神障害者の描き方に問題がないとは言えないだろうと思う。



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