壺齋散人の 映画探検
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終着駅(The terminal station):ヴィットリオ・デ・シーカ



「終着駅(The terminal station)」は、ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio de Sica)がハリウッドに招かれて作った映画である。したがってクレヂット上アメリカ映画ということになっており、主演俳優たちもハリウッド・スターだが、舞台はローマであり、スタッフもほとんどがイタリア人である。

デ・シーカをハリウッドに招いたデヴィッド・セルズニックは、イギリス映画の名作「逢びき」に匹敵するような恋愛映画を作ってもらいたいとデ・シーカに要望したそうだが、それに応えてデ・シーカが作ったものは、恋愛映画というよりか、男と女の腐れ縁と、未練がましい別れの物語であった。その未練がましさがあまりにもしつこいので、筆者などは辟易させられてしまった。あの西鶴でさえアホらしいと言って愛想を尽かすのではないかと思ったくらいだ。しかし、公開当時は何故か世界的なヒットとなり、特に日本人には大受けした。

倦怠期を迎えた主婦が旅先のローマで若い男と恋仲となったが、家に残してきた娘と亭主のことが気にかかるようになって、男を捨ててアメリカに帰ることを決意する。そしてとりあえずパリ行きの汽車に乗ろうとしてローマのテルミニ駅で待っているところへ、相手の男がやってきて引き戻そうとする。そんな男の情熱に女も一時はよろめきそうになるが、最後は決然として家族のもとに去っていく、といった他愛ない内容の映画である。

こんな訳だから、映画は殆どがテルミニ駅での女(ジェニファー・ジョーンズ Jennifer Jones)と男(モンゴメリー・クリフト Montgomery Clift)の恋のさや当てからなっている。別れを決意した女に男がせまり、あの手この手を駆使して元の莢に戻ろうとする、その駆け引きだけで成り立っている変な映画である。

こんな変な映画を、デ・シーカは何故作る気になったか。それは、映画史上の一つの大きな謎かも知れない。

英語でのタイトルは The terminal station となっていて、あたかも普通名詞のように聞こえるが、舞台となった駅の名 Stazione Termini は、ローマ中央駅の名称であり、その意味では固有名詞である。東京の中央駅を東京駅というように、ローマの中央駅を Stazione Termini(テルミニ駅)というわけである。

ラスト・シーンで、男が列車の中まで女を送り、未練のあまり走り出すまで一緒にいた挙句、走り出した列車から飛び降りて転倒する場面がある。この駅には、ロンドンやパリの駅同様に改札口というものがなく、見送りの人も自由に列車に立ち入ることができるということらしい。

なお、二人が回送列車の中に入り込んで抱擁しているところを駅員に見咎められ、警察に引き渡されるシーンが出て来るが、この警察というのがなかなか面白い。テルミニ駅の構内にあるから、日本で言う鉄道警察のようなものか。ここに連れてこられた男女に対して、警察署長が尋問をする。それに基づいて起訴するかどうかを決めようとするわけだが、署長は結構幅広い裁量権を持っているらしく、自分で裁断して二人を釈放してやる。恋の逢瀬に一定の理解を示したというわけだ。そのやりとりになかなか心憎いものがあり、日本の警察とはかなりな肌合いの違いを感じさせられた。日本の警察でなら、こんな男女は、発情した犬くらいにしか扱ってもらえないだろう。





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