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カビリアの夜(Le notti di Cabiria):フェデリコ・フェリーニ



フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini)の映画「カビリアの夜(Le notti di Cabiria)」の邦題は「夜毎のカビリア」のほうがよかったように思う。その方が、原題の意味にフィットしているし、カビリアと言う源氏名の街娼が夜毎に体験する出来事を描いたというこの映画の内容にもマッチする。

街娼の夜毎の出来事であるから、大した変化はない。ローマの郊外の街道に仲間の女たちと立ち、通りがかる車から呼びかけられれば、それに乗ってついていき、売春をする。その繰り返しだ。カビリア(ジュリエッタ・マシーナ Giulietta Masina)は、もう一人の女と、小さな家に住んでいて、そこを根城に売春に出かける毎日だ。もう若くはない。頼りになるのは金だけだ。だが、世の中にはあくどい男が絶えないもので、こんな哀れな売春婦から、なけなしの金をむしり取ろうとする悪党もいる。

この映画は、カビリアが世話を焼いていた若い男から、四万リラの入ったバッグをひったくられた上に川に突き落とされ、危うく死にかけるところから始まる。溺れてたっぷり水を飲んだカビリアを、救け上げた男たちが逆さにして水を吐きださせる。そのおかげでカビリアは一命を取り留めるが、助けてくれた男たちに感謝するでもない。男に騙されたうえ殺されかかったとあって、気持ちが動転しているからだ。

やがて立ち直ったカビリアは、再び夜毎の仕事に出かける。街道に仲間の女たちと立ち、自分を買ってくれる男を待つ毎日だ。時には警察の手入れに出くわし、危ない目にあうこともある。また、時には楽しい思いをすることもある。人気映画俳優とふとしたことから意気投合し、ナイトクラブで遊んだりして、楽しいひと時を過ごす。しかし、そんなひと時は、売春婦にとっては、何の意味ももたない時間だ。夜が明ければ、きれいさっぱり忘れてしまわねばならない。そんな記憶を大事にしていては、生きて行くことはできないのだ。

この男との出会いの外にも、カビリアをめぐるいくつかのエピソードが続く。エピソード相互の間には何の繋がりもない。ただただ時間の流れにしたがって、様々な出来事がカビリアの周りで起こるに過ぎない。

そんな出来事の中でも、カビリアにとって運命的な出来事がやがて起こる。一人の男が現れて、カビリアに異様な好意を示すのだ。その男(フランソワ・ぺリエ François Périer)は、ある劇場でカビリアを見初め、彼女に近づいてきたのだった。カビリアはたまたま立ち入ったその劇場で、芸人から舞台に引き上げられて、そこで催眠術をかけられる。それを見ていた男が、この女は愚かで騙されやすいと思い、結婚詐欺にひっかけてやろうと思って近づいてきたわけなのだ。人の好いカビリアは、最初は警戒していたが、やがて男の熱意にほだされて、ころりと騙されてしまう。家を含めて何もかも金に換えたカビリアが、それを持参金にして結婚生活を始める気でいるところを、男はカビリアからその金を巻き上げて消えてしまうのである。

カビリアは無論悔しかったし、悲しくもなったが、それは自分を騙した男が憎いからではなかった、そんな男に簡単に騙されてしまった自分があまりにも哀れに思えたのだ。まだいくらも経たない前に、騙されて殺されかかったばかりなのに、またぞろこのざまだ、というわけなのであろう。

というわけで、この映画は女を食い物にする悪党を告発する映画でもある。女を食い物にする男たちは、日本の溝口健二もよく描いたところだが、フェリーニの映画の中の悪党は、溝口の映画の中のすけこましたちより、はるかに始末が悪い。

いくつかあるエピソードの中で印象的なのは、聖母の奇跡に大勢の人々が殺到するシーンと、得体の知れない男が貧者たちに施しをして回るシーンだ。聖母の奇跡と言うのは、聖母マリアの霊力によって怪我や病気を治してもらうことを内容とするお祭りのような行事だ。そのお祭りの場に、すさまじい数の人々が殺到する。みな病気や身体障害や心の悩みを抱えている。それらを聖母マリアに癒してもらおうというのだ。そのお祭りにカビリアとその女友だちも参加する。だがカビリアにはさしあたってお願いするようなことはない。そこで、いまのような生活から抜け出して、まともな生き方ができるようにしてほしいと願うのだ。

だが、カビリアの願いも、その他の人々の願いも、聞き届けられる見込みはない。そこでカビリアは、これはインチキだといって騒ぐのだ。しかし騒いでいるのはカビリアだけで、他の人々は聖母マリアに接することができただけで満足している。この場面からは、そうした庶民の素朴な信仰が伝わってくるのだが、フェリーニはその信仰がどうのこうのといっているわけではない。ただそれを、淡々と映しだしているといった風情だ。

得体の知れない男は、ズタ袋を担いでローマ郊外の原野に散在する洞穴を巡り歩き、そこに住みついている乞食たちに施しをする。それを見ていたカビリアは、男の無欲な施しに感心する一方、乞食の中に知った顔を見て驚く。その女乞食は、昔の街娼仲間で、いまは落ちぶれてこのような様になっている。だがそれは他人ごとではない。自分もいつかそうなるかもしれない、そうカビリアは直感するのだ。

カビリアを演じたジュリエッタ・マシーナは、「道」の時以上に不幸な女の悲しさを演じていた。そのカビリアを騙す役のフランソワ・ペリエは、「居酒屋」の中では気の弱い亭主役を演じていたが、この映画では一転してスケコマシとなったわけだ。だがスケコマシの役もなかなかはまっていたといえる。





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