壺齋散人の 映画探検
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鉄道員(Il ferroviere):ピエトロ・ジェルミ



ピエトロ・ジェルミ(Pietro Germi)が1956年に作った映画「鉄道員(Il ferroviere)」は、イタリア、ネオレアリズモの最後の傑作と言われている。ジェルミ自身、この映画の後には、コメディタッチの映画を作るようになるし、ネオレアリズモの巨匠といわれた作家たちも、1950年台半ば以降、それぞれ独自の作風を展開するようになったからだ。

この映画は、イタリアの労働者階級の一家の生き方を描いたものだ。そんなこともあって、この映画には二つのテーマがある。一つは労働者同士の連帯、もう一つは家族の絆だ。映画の中では、家族の絆の方が前面に出て、それがまた情緒たっぷりに描かれているので、観客の多くはこの映画を、家族を巡る感動的な愛の物語と受け止め、熱い涙を流しもしたわけだが、労働者仲間の連帯も、やはり感動的に描かれている。

第二次大戦直後のイタリアは、労働運動が非常に高まった。イタリアの労働運動は、伝統的な職能別組合の強い結束を受け継いでいたことと、労働者としての階級意識が非常に高かったことという二つの特徴があった。戦後の西欧諸国は、イギリスと西ドイツを覗いて共産党の勢力が非常に高まったのだが、その背景には労働者の階級意識の高まりがあった。それが最も強く表れたのがイタリアだったのである。この映画は、そうした事情を背景にしながら、戦後イタリアの労働者たちの生き方に大きな関心を払っている。この映画が、ネオレアリズモに分類される所以はそこにある。

一方、家族の絆という点については、この映画の中の家族は完全に核家族である。両親と三人の子どもがアパートで暮らしている。父親は、地域社会とのつながりは余りないらしい。彼がつながっているのは、職場の仲間たちと、家族たちだけなのだ。それ故、職場から疎外されることは、自分の居場所を失うことを意味し、家族の絆が壊れることは、生きるための支えが失われることを意味する。もしそんな事態が起こったら、どんなことになるか。この映画は、そこのところをかなりウェットな視点から描いている。ウェットなというのは、人をして涙を催さしむ、という意味である。

父親のアンドレオ・マルコッチ(ピエトロ・ジェルミ Pietro Germi)は国鉄の乗務員である。もう30年も鉄道員としてやってきて、その仕事に誇りを持っている。末息子のサンドロ(エドアルド・ネヴォラ Edoardo Nevola)の眼には、そんな父親が英雄のように見える。映画はそのサンドロが、ミラノから列車を運転してきた父親を迎えるために、駅に駆け付けるシーンから始まる。父親を出迎えるサンドロの眼は、喜びに輝いている。そのサンドロの眼を通じて物語は進行していくのである。

マルコッチには気にかかることがある。娘のジュリア(シルヴァ・コシナ Sylva Koscina)と息子のマルチェッロが反抗的なことだ。娘は妊娠している。そこでマルコッチは相手の男に娘と結婚させる。しかし娘はこの結婚を喜ばない。娘には別に男がいるようなのだ。息子の方は、働きもせずぶらぶらしているばかりか、いかがわしい連中と付き合ってもいるらしい。

こんなわけで心痛の絶えないマルコッチは仕事で重大なミスを犯してしまう。列車の運転中に飛び込んできた自殺者に動転して、信号を見落としあやうく正面衝突しそうになったのだ。さいわい衝突は逃れたが、マルコッチは本線の乗務から外され、雑役のような仕事に回されてしまう。

こうして、家族との関係に悩み、職場でも面白くない境遇に陥ったマルコッチは、次第に自暴自棄になっていく。そんな折に、国鉄の労働組合がストライキを打つ。イタリアの労働組合は結束の固いことで定評だが、マルコッチは仲間を出し抜いてスト破りをする。当局に協力して長距離列車の運転を買って出たのだ。そのことでマルコッチは仲間から疎外される。

一方、娘のジュリアは、父親に反発するあまり、ついに夫の家も出て一人暮らしを始める。息子のマルチェッロのほうも父親と反目して家を出る。こうして家族がバラバラとなり、職場の仲間からも疎外されたマルコッチは、一人で放浪して歩くようになる。そんな父親を末息子のサンドロが遠くから見つめる。父親の親友リベラーニ(サロ・ウルツィ Saro Urzi)が、サンドロを暖かく見守り、サンドロを父親のいるところへ連れて行ったやったのだ。

このままでは、映画は悲惨な結末に向うばかりだったろう。だがジェルミは、この映画に救いの余地を与えた。結局父親のマルコッチは職場の仲間から受け入れられ、また二人の子どもたちとも和解することとなる。映画は、この二つの和解の徴として、職場の仲間たちや子どもたちが彼の家に集まり、クリスマス・パーティを催すところで終る。パーティに満足したマルコッチは、微笑みながら死んでいくのである。

こんなわけで、かなり甘い結末になっているのだが、そこを露骨に感じさせない。

マルコッチを演じたピエトロ・ジェルミは、俳優修業から出発したというだけあって、なかなか演技がうまい。権威的で暴力的な一方情に厚いイタリア男を実に心憎く演じていた。大人になった長女を抱きしめて「バンビーナ・ミーア」と言うところなどは、日本人の父親には絶対期待できないところだ。

妻のサーラを演じたルイザ・デラ・ノーチェ(Luisa Della Noce)もなかなかいい。夫に従順で子供に慈悲深いイタリア女をごく自然に演じていた。こんな母親がいるからこそ、末息子のサンドロは芯の強い子どもでいられるのだろう、そんなふうに感じさせる。





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