壺齋散人の 映画探検
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カンタベリー物語:ピエル・パオロ・パゾリーニ



「カンタベリー物語」は、「デカメロン」と並んでヨーロッパ中世の滑稽小話集の双璧と言われる作品だ。構成や語り口に共通するところが多いので、前者が後者の影響を受けたと指摘される。筆者は学生時代に両方とも読んだが、「カンタベリー物語」のほうにより深い感銘を受けた。「デカメロン」のほうはほとんど忘れてしまったが、「カンタベリー物語」のほうは、男にキスさせると見せかけて屁をかませた女の話とか、木の上で密通する男女の話とか、一夜の宿を借りた二人の学生が宿の亭主の女房と娘を寝取る話とか、おぼろげながら覚えているのは、これらの話が強烈に猥褻だったからだろう。

原作では、カンタベリーへの巡礼の旅人たちが、旅の無聊を慰める為に、旅館でそれぞれ小話を披露しあうというものだが、映画もほぼそれを踏襲しており、作者のチョーサーがそれらを記録する一方、自分でも創作した小話を披露するという構成をとっている。映画で披露される小話の数は、十話ほどだ。それらが順を追って披露されてゆく。それが見ているものをして抱腹絶倒せしむるというわけである。これを上映した映画館は、おそらくすさまじい爆笑につつまれたであろう。

冒頭にむさくるしい男が出てきて、ホモのカマ掘りにも道理があるように冗談にも真理が隠れていると言い、別の女は、処女の器は守るものではなく道具として扱うものだ、と宣言して全編がスタートする。

最初は木の上で男女が密通する話だ。いい年をした老人が若い女を妻としたはいいが、欲求不満の妻が老人の目が見えないことにつけこんで、木の上で若い男とセックスを始めたところ、突然老人の目が開いて現場を目撃されてしまうが、機転をきかせて老人をだましてしまう。だましたほうもだまされたほうも、それで丸くおさまったのだからよいではないか、という教訓めいた話である。

ついで、ホモのカマ掘り現場を押さえられた男が役人に賄賂を払わなかったおかげで火あぶりにされてしまう話(男色は犯罪だったらしい)、収税吏が旅の途中で出会った悪魔に地獄へ連れて行かれる話、チャップリンのような風采の宿無しがさまざまな試練をくぐったあげく首かせの刑に処せられる話、だみ声のナイチンゲールと呼ばれる女が亭主をだまして若い男とつるむ話、亭主をだまして若い男をベッドに引き入れた女が、別の男から声をかけられ、その男に尻にキスさせると見せかけ、突き出した尻から屁をかませる話、これには重ねて屁をかませてやろうとした間男が、かえって焼き鏝で尻の穴を焼かれるというおまけがつく。

更に、後家さんが五人目の亭主に選んだ男がゴーギャンのような顔つきで、したたかな顔で後家さんにキスしようとしたところ鼻を噛みちぎられる話、ベルルスコーニのような風采の学長がいる学寮から逃げ出した二人の学生が、粉屋の亭主の家に泊めてもらった挙句、そこの女房と娘を寝取って亭主に追っ払われる話、死神に取り付かれた三人兄弟が、財宝をめぐって仲間割れし、互いに殺しあう話が続く。

どの話も抱腹絶倒させられる一方、いろいろな教訓も含んでいる。まさに冗談にも真理が隠れているというわけである。面白いのは、卑猥な仕草が色々なところで見られることだ。人は映画を楽しみながら貴重な知識も得られる。たとえば、左手の親指と人差し指で環を作り、そのなかに右手の人差し指を入れる仕草は男女の性交を表す、といった知識だ。日本でそれに相当する仕草は、片手の親指を人差し指と中指の間に差し込むことだろう。人間という生き物は、種族によって文化が違うということを、視覚的に納得させてくれるわけだ。

また、全編にわたって賛美歌のような不思議な歌声が流れるが、賛美歌こそは中世を彩る貴重な音楽だったということがこの映画を通じてよくわかる。ラストシーンは、その賛美歌を基調音として、男たちの毛の生えた尻の穴から夥しい数のばい菌の魔物が出てきて、世界を占領跋扈するところを映し出す。あたかも中世のイギリスにあらわれたグレムリンたちを思わせる。グレムリンの故郷は宇宙の彼方ではなく、人間の尻の穴だったというわけである。

尻の穴といえば、この映画では男が男の尻の穴を陽根を以てつつきまわすシーンがよく出てくる。中世のイギリス人が男同士のカマ掘りに熱中していたのか、それとも現代人のパゾリーニがそれに異常に拘ったのか、そのへんは明らかではない。だがとにかく面白いことに間違いはない。

こんなわけでこの映画は、繰り返すようだが、見るものをして抱腹絶倒破顔哄笑せしむる優れものの映画というべきである。パゾリーニはこの映画を作っただけでも、その分人類を幸福にさせる恩人と言うべきである。

それにしても、現代では謹厳な顔つきをしていることで偽善的だと指弾されるイギリス人が、チョーサーの時代には、大陸の人間顔まけの卑猥な連中だったということが、この映画を通じて非常にわかりやすく伝わってくる。





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