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ロベルト・ロッセリーニ「神の道化師フランチェスコ」:アッシジのフランチェスコ



ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)の映画「神の道化師フランチェスコ(Francesco Giullare di Dio)」は、「アッシジのフランチェスコ」として知られる13世紀イタリアの聖人の半生を描いたものである。この聖人は、日本ではあまり馴染みがないが、キリスト教、特にカトリック教圏では絶大な尊崇を集めている。その聖人の布教の日々を描いたこの映画は、宗教一点張りというわけでもなく、フランチェスコとその布教仲間の人間的な面も描き出している。「神の道化師」という言葉は、そんな彼らの人間的な側面をあらわしたものなのかもしれない。

映画は、一貫したストーリーに従って展開するというよりも、フランチェスコとその仲間にまつわるさまざまなエピソードを組み合わせる形で展開していく。そのエピソードの中には、フランチェスコが鳩と親しく語り合ったという有名な逸話や、ライ病者へ接吻したという話が盛り込まれているほか、聖女キアラとの出会いなども描かれている。

エピソードの中でもっとも劇的なのは、弟子の一人ジネプロが殉教しそうになる場面だ。映画の前半では、新入りの弟子としてもっぱら先輩たちの世話役に徹していた彼が、やっとフランチェスコの許しを得て、布教に出かける。その先で、ニコライオという山賊の一団と遭遇する。ジネプロは彼らに向かって、布教の言葉を投げかけるが、かえってひどい目にあわされた挙句、今にも首を刎ねられそうになる。しかし、その場に及んでも憶さない彼の態度が、敵方を感心させて解放されるという話だ。

また、フランチェスコが高弟のレオーネを伴って托鉢し、信仰の本当の喜びとは何かを体得する場面がある。そこでは、他人にひどい目にあわされても、ひたすら主を讃えることこそが本当の喜びなのだといいながら、俗人の理不尽な仕打ちに耐える姿が映し出される。こういう場面は、我々日本人にはなかなかピンと伝ってこないが、イタリア人には心に響くのだろう。

道化らしいエピソードもある。病気の仲間の様態を心配したジネプロが、スープを与えようとしても飲まないので、一体何が食べたいか聞いたところ、豚足が食べたいという。そこでジネプロは、その願いをかなえるために、豚を求めて歩き回る。やっと豚と出会ったジネプロは、痛くないようにするから、お前の足をちょん切らせてくれと頼む。豚は当然嫌がるのだが、ジネプロはそれを追い回しては、ついにナイフで豚の足を切り取ってしまうのだ。豚が切なそうな声を上げていつまでも泣き悲しんでいるのを尻目に、ジネプロは喜び勇んで仲間の所に戻ってくる。そこへ豚の所有者が、怒り狂って殴り込んでくるというシーンである。

ラストシーンは、十人余りの仲間たちが、それぞれバラバラに布教に旅立っていく場面だ。皆で思い思いに回転運動をする。眼が回ったところで地面に倒れる。その時に頭の向いた方向が、それぞれの向かうべき方向となる。こうして一人一人が己の向かうべき方向を定めた後、それぞれ孤独な布教の旅へと向かっていくのである。

ロッセリーニと言えば、第二次大戦中におけるナチスドイツの非人間的な所業を告発する映画を作り続けた監督として知られているが、この映画では一転して、イタリアの伝説的な聖者の半生を取り上げたわけだ。



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