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今村昌平「復讐するは我にあり」:動機なき連続殺人



今村昌平の1979年の作品「復讐するは我にあり」は、佐木隆三の同名の小説を映画化したものだ。原作は、昭和38年から39年にかけて起きた連続殺人事件に取材したもので、ちょっとしたベストセラーになった。映画は、原作の内容をほぼ忠実に再現しているという。興行的にはかなり成功したようだが、いまひとつわからないところの多い作品だ。

この連続殺人事件というのは、榎津巌という極道者が、たいした動機もないままに、五人の人々を殺害したというものだ。しかも、最初に起こした2件の殺人事件で指名手配され、全国を逃げ回っている70日余りの間に引き続き三件の殺人事件を起こしたとあって、当時の日本社会を震撼させたという。しかも、犯人には、被害者を殺す大した動機もなく、いわばゆきあたりばったりに殺し続けたと言うので、その猟奇性が人々の関心をいやがおうにも掻き立てたということになっている。

映画は、もっぱらその猟奇性に焦点をあてている。榎津(緒方拳)は、最初に二人を殺した後、短い期間に続けて三人を殺すのだが、いづれのケースでも明確な動機が見当たらない。殺した後には金を奪っているから、金目当ての殺人と言えなくもないが、それにしては金額が知れている。第一この男は頭の働くのを幸い、人を騙して金をとる能力も持っている。なにも危険を冒して強盗殺人をする必要がない。だから、この男の殺人は、人を殺すことが自己目的になっている、と思わせるような不気味さを感じさせる。その不気味さは、榎津が逃走中にねんごろになった連れ込み旅館の女将ハル(小川真由美)を絞め殺す場面で頂点に達する。この場面に来るまで、二人の関係は濃密さを増し、互いに信頼しきっているというように描かれてきたのに、突然榎津がハルの首を絞めて殺すのだ。女を殺した後、榎津は更に女の母親を殺し、女の家から金目のものを持ち出して質屋に売り払うようなことまでする。その行動には、人間らしさのかけらも見られない。

だから榎津は一種の性格破綻者というわけなのだろうが、彼が何故そのような性格になったのか、映画では納得できる説明をしていない。ただ、榎津が父親を深く憎んでおり、その憎しみが殺人への衝動につながったのではないかと思わせる工夫はある。もっとも、これにしたって、父親への憎悪が何故他人の殺害に至らしめるのか、納得できるわけではないが。

映画の構成はかなり入り組んでいる。冒頭で榎津が逮捕される場面が出てきて、そのあと取り調べ刑事の前で榎津が犯罪を含めた自分の過去を振り返るという形になっているのだが、その回想場面は二つに分かれていて、ひとつは犯罪をする以前の、少年時から成年時にかけての回想、もう一つは犯罪をした後の逃走と新たな殺人にかかわる回想という具合になっている。

回想の前半部分は、二つのポイントがある。ひとつは少年時代のある出来事をめぐるものだ。その出来事とは、戦争中に海軍から漁船の供出を求められた榎津の父親(三国連太郎)が、海軍の将校の前で卑屈な態度を見せ、それを見た少年の巌が父親を強く軽蔑するようになるというものだ。その後巌は不良になり、刑務所を出たり入ったりするようになるが、その原因は少年時代に抱いた父親への強い軽蔑感であったと言うように描かれている。

前半の二つ目のポイントは、父親と自分の妻(賠償美津子)との関係を疑うことだ。妻は亭主に愛想をつかし、夫が服役中に家を飛び出るのだが、父親に説得されて戻る。その最も大きな動機が、この父親に対する愛と言うことになっている。ところが父親の方には、嫁との性的な関係を持とうとする意思は毛頭ないということにされているが、出所してきた息子は二人の関係を疑ったあげく、家を飛び出して放浪の旅に出るというわけだ。

この放浪の旅が、いつの間にか逃亡の旅へと切り替わる。そこから回想の後半部分に入るというわけだ。九州で専売公社の職員ら二人を殺害した榎津は、東へ向かって逃亡の旅を続ける。その途中浜松で下車し、路地裏の待合宿に投宿。大学教授だと身分を偽り、女将の警戒を解く。その女将との間で繰り広げる榎津の演技が見ものだ。この女将には母親が一人いるが、この母親の女は殺人事件で受刑し最近出所してきたばかりである。また、女将には旦那がいる。彼女が経営している待合宿は、この旦那からあてがわれたものである。そんな女将が、大学教授に化けた榎津に好意を覚え、二人は次第に深い仲になっていくのである。

榎津には、詐欺の才能がある。その才能を発揮して弁護士に成りすまし、被告の親族から保釈金を巻き上げるというような真似もする。また、他の弁護士と仲良くなり、その男のアパートに入り込んだ挙句に、その男を殺してしまう。このケースも、動機はまったく明らかにされない。

そのうちに、女将は榎津の本性を知るようになるが、彼を見捨てるようなことはしない。かえって、榎津の子どもを欲しがるような入れ具合だ。そんな女将を榎津は、油断させておいて、いとも簡単に絞め殺してしまう。何故そんなことをしたのか、映画の画面からは何も伝わってこない。ただ、榎津がそのことを後悔していないということが伝わって来るのみだ。

こんなわけでこの映画は、どうもよくわからないところの多い作品だ、そこが不気味さを感じさせる所以だ。その一方で、過剰ともいえる性描写がある。この映画が大当たりを取った理由は、むしろそちらの方にあったのかもしれない。



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