壺齋散人の 映画探検
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女衒:今村昌平



維新の開国後、明治から昭和前期にかけて多くの日本人が海外に飛躍した。その尖兵となったのが、遊女の大部隊である。売買春は人類最古のビジネスとあって、身体のほか何ももたない大勢の女たちや、ほかに適当な資本を持たない人間たちが、海外に飛躍してせっせと売春家業にいそしんだわけだ。彼らの行いは、確かに賤業には違いなかったが、世界史に名乗りをあげたばかりの、いわば若い国家たる日本にとっては、貴重な外貨獲得源でもあったのである。それは、現代の東南アジアの貧しい国々の女たちが、中東の豊かな国で下女仕えをして、せっせとお国に送金している姿と重なるところがある。

主に東南アジアに雄飛した彼女らのことを「からゆき」さんと呼ぶこともある。そんな彼女たちを日本国内でリクルートして、東南アジアに売り飛ばしていた連中を女衒といった。女衒とは、遊女をリクルートする役柄として徳川時代以前からあった由緒ある職業である。それが日本の開国を契機に、海外にも拡大していったわけだ。この、海外を舞台とした人身売買のうち、売られたほうの女「からゆきさん」をテーマにした映画としては、熊井啓監督の1974年の作品「サンダカン八番娼館」が有名であり、彼女らを売り飛ばしたほうの女衒をテーマにした映画としては、今村昌平監督が1987年に作った、ずばり「女衒」を以て最高傑作となすべきだろう。

女衒は、今風の言葉で言えば「人身売買」稼業ということになる。先日この国の総理大臣安部晋三が、戦時中の従軍慰安婦の問題に触れ、彼女らを人身売買の犠牲者であると表現して、大日本帝国の責任をひとえに女衒にかぶせるかのような発言をしたが、名指しされた女衒にも言い分があるに違いない。彼らには彼らなりに、貧しい女たちのため、ひいてはお国のために尽くしているという大儀があった。それを無視して、人身売買をこととする非道なやから呼ばわりされたのでは、怒りも沸いてくると言うもんだろう。もっとも、女衒という職業は、今日では歴史的遺物扱いなので、総理大臣からそう罵られて、じかに痛みを感じるものはいないとは思うが。

今村昌平の映画「女衒」に出てくる女衒たちは、自分の仕事に大儀があると信じているので、仮に総理大臣から人身売買だとか非道なやからだとか言って罵られたら、頭に血が上るに違いない。彼らは、自分たちは不幸な女たちのためを思ってやっているのであり、また女の家族や、ひいてはお国のためになることをしているのだと思い込んでいるのである。この映画は、そんな一人の女衒の、明治なかばから昭和初めにかけての、一人の人間としての生き様を描いたものなのである。

映画は、明治34年の香港を舞台にして始まる。緒方拳演じる村岡伊平次という男が、人に騙されて奴隷奉公させられていた中国船から、二人の仲間と一緒に脱出する。今村の映画は、主人公が奴隷的境遇を脱出することから始まるケースが多い。「復讐するは我にあり」と「うなぎ」は、主人公が刑務所から出てくるところから始まるし、「ええじゃないか」も主人公が取り調べの留置所から脱出するところから始まる。奴隷的境遇から脱出して、ひと時の自由を満喫した後、未練を残さずにこの世から去っていく、そういうストーリーが、今村は好きなようである。

村岡はひょんなことから陸軍将校の従者となり、その男から大和魂を叩き込まれる。それは一言で言えば、自分が天皇の赤子であることを自覚し、お国のために尽くすということだった。後に彼が従事することになる女衒の仕事も、彼の意識の中では、お国のために尽くすという大儀にそった行為になる。つまり、村岡は、無学でまっしろだった精神を大和魂で染め上げられてしまったというわけなのである。以後、彼の行動は、この大和魂に基づく理想と、ダーティな現実との奇妙なもつれ合いという形をとる。そんなことからこの映画は、一人の女衒を通して、日本という国のあり方を皮肉っているとも言える。

村岡が女衒になったきっかけはいい加減なものである。陸軍将校と満州で一働きした後、香港に戻ってきた村岡は、そこで幼馴染の女しほ(倍賞美津子)と再会する一方、日本の女たちが香港の売春業者の餌食にされていることを憤り、日章旗をまとい、日本刀を振りかざしながら、彼女らを救出する。だが、救出したはいいものの、彼女らを日本に送り返すこともできず、どうしたらよいか途方にくれる。そのときに、しほの助言もあって、この女たちを種にして女衒を始めることとするわけなのである。

村岡の理屈では、貧しくて生きる場所を持たない女たちのために、売春という生業を与えることは人助けなのである。それにとどまらず、彼女らの稼いだ金を家族に送れば、それでもって税金も払われ、お国のためにもなる。一石二鳥の慈善事業なのだ。また、人身売買とは人を売り買いすることであることから、これは人間を商品とした立派な貿易である。自分は貿易業者としてもお国に貢献しているという理屈になる。

香港で旗揚げした村岡は、コーランボ(クアラルンプル)に進出する。コーランボの売春ビジネスは華僑が仕切っている。そこへ村岡は、金と女の力を借りながら、強固な地歩を築いてゆき、ついには地元の大長者として成功するに至る。成功した村岡は、自分の仕事に箔をつけるために、東アジア諸国に国立娼館つまり公設の売春宿を作り、自分がその采配を任せてもらうように画策する。だが、その画策は効を奏しない。奏しないばかりか、村岡の立場はだんだんと難しくなってゆくのだ。

まず、国際情勢が村岡に不利に働く。日露戦争に買った日本は、中国進出を狙って21か条要求を突きつけるが、これがマレーの華僑社会を刺激して、日貨排斥運動が起こる。日本人による売春ビジネスもその対象となり、「不買日本女子」のスローガンとともに、攻撃を加えられる。

ついで日本政府も、日本人女性の海外輸出を取り締まるようになる。文明国としては、つつしむべきだという判断からである。村岡たちは女を集められずに、商売が傾いてゆくのだ。

こうしてついに、村岡は破産する。その際に最愛の女しほまでが、自分を捨てて華僑の男のもとに去ってしまう。ショックを受けた村上は、明治天皇の遺影に向かって、「わたくしめのどこが、まちがったとでしょうか」と叫ぶのだ。村岡にとって明治天皇は、いまや信仰の対象なのだ。

一人になった村岡だが、絶望はしない。彼は彼なりに頭を働かせて、自分なりにお国のためにできることはないかと考えるのだ。その挙句に考え付いたのは、マレーの地に大勢の日本人子孫を残すということだった。マレーの地に、自分の血を分けた子孫からなるコミュニティを作ることで、大和魂を絶やさずに引き継いでいきたい。そんな妄想に駆られた村岡は、大勢の女を相手に手当たり次第に子作りにはげみ、その結果数十人もの子どもたちに恵まれるのである。

すると、そんな年老いた村岡の村に、日本兵が大勢押しかけてくる。昭和16年のことだ。日本はこの年パールハーバーを奇襲するとともに、マレー半島に電撃的な侵攻を図ったのだ。大勢の日本兵を見た村岡は、俄かにビジネスマインドを奮い起こす、兵隊たちが大勢いれば、女たちも大勢必要になるだろうと考えたわけだ。

ここまでくればパロディの枠を超えて、ブラックコメディというほかはない。この映画は、まじめなテーマを扱っていると見せかけて、パロディの要素もあるし、ブラックコメディの要素もある。そこがどうも中途半端な印象を与える。その中途半端さが、この映画が欧米で高い評価を得られなかった理由ともなったのだろう。

筆者などは、この映画は「楢山節考」以上の傑作だと思っている。しかし欧米人にはそうは思われなかった。この映画は、あまりにも自由奔放な作り方をしているせいで、様式を重んじる欧米人、とりわけフランス人には理解しづらかったかもしれない。たとえばセックスの描写。この映画の中のセックス描写は、我々日本人には非常にわかりやすく受けとれるのだが、フランス人にはそうは受け取れないようだ。フランス人にとっては、セックスにも思想がなければならない。ところがこの映画にはその思想がない。男と女が、獣のように交わっているだけだ。そんなふうにうけとられたのではないか。





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