壺齋散人の 映画探検
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うなぎ:今村昌平



今村昌平の映画「うなぎ」は、「楢山節考」につづいて今村にとっては二度目のカンヌ映画祭グランプリを取った。それには相応の理由があったと筆者は思っている。この映画は、いわゆる寝とられ亭主の悲哀を描いた作品なのだが、この寝取られ亭主というのは、フランスの文化的伝統のようなもので、従ってフランス人の関心にも高度なものがある。この作品はその高度な関心を見事に満足させたことで、フランス人から「パルム・ドール」に相応しいと判断されたのだと思う。「楢山節考」が、親捨てという日本独自の文化を通じてフランス人に訴えたとすれば、この映画は寝取られ亭主という日仏に共通するテーマを通じてフランス人の心を捉えたのであろう。

もっとも、日本人にとって寝取られ亭主が普遍的な現象というわけではない。日本人の妻の大部分は貞淑な女たちであるし、亭主以外の男に尻を抱かせることはほとんどないと言ってよい。だから今村はこの映画の中で、日本人としては稀有な事柄を描いているわけである。しかしスクリーンからはそうした背後事情は見えてこないから、これを見たフランス人は、これが日本人の間に普遍的に蔓延していると受けとっても不思議ではないし、彼らがそんな映画に対して親近感を抱くのも無理はないのである。無理があるとすれば、日本もまた尻軽女と寝取られ亭主があふれている国だと思わせた今村にある。

今村は、無理のついでももう一つ無理を重ねている。妻殺しで刑務所に入っていた男が、仮出所して人生のやり直しをしようとしているところを、これもまた人生のやり直しを願っている女と出会い、ついにはその女と結婚する決心をするにいたるのだが、その女というのが、他の男の種を宿していたのだ。つまりこの男は、妻を寝取られた後で、今度は他の男の種を宿した女と結ばれるのだ。こういうのは、フランス人にとっては理解しがたいことというより、神秘的に映ったのではないか。寝取られて意気消沈しているはずの男が、寝取られついでに、他の男と寝た女をゆるす気分になる。これは聖書にある人類愛の権化ともいってよい。あるいはキリストのように慈愛に満ちた行為を、極東の島国である日本の男たちは演じている。そんなふうにフランス人は思ったに違いない。これもまた、実情を反映していないことは、寝取られ亭主の場合と同様なので、今村は日本人のイメージを誤って伝えたと非難される理由があるというべきである。

しかし、映画というものは、理屈で見るものではない。現実をあまりゆがめるのは無論よくないが、しかし現実をパロディ化したり、多少デフォルメしたりは、許されるだろう。そういう姿勢で接すれば、今村のこの映画にも、よいところは沢山ある。たとえば、暖かい人間関係とか、豊かな自然とか、この映画が持っているそうした要素は、欧米社会とはまた一味違ったものだ。そうした要素を通じて、日本という国に親近感を抱いてもらえれば、映画作家としては十分な貢献をしたといって、褒められてしかるべきだろう。

ともあれ、妻を寝とられている現場をみた男(役所広司)が逆上するのは無理もない。四つんばいになって尻を突き出し、男の一物を腹の中にくわえ込んで、大きなよがり声を立てている。バックからするのをフランス式体位といって、フランス人にはもっとも好まれている姿勢だ。こんなシーンもフランス人に気に入ってもらえたんじゃないか。そんなことを言うと、今村はこの映画を、フランス人を意識しながら作ったと言えそうだが、本人にはそんな意識はなかったようだ。日本人の女だって、フレンチ・セックスを楽しむことはあるよ、というわけだろうか。

この妻に比べると、男のもとに迷い込んできた女(清水美佐)は、ずっと控えめだ。この女はろくでもない男に引っかかってしまうのだが、そんなろくでもない男にさせるときにも、日本古来の伝統的な体位(正常位という)を取っている。その時に両足を空中高く持ち上げるのは、おそらく下付きのせいだろう。その時のセックスが激しかったので、子どもが出来てしまったというわけだ。

題名にある「うなぎ」とは、男が刑務所を仮出所するときに、いっしょに連れてきたものだ。人間不信になった男には、うなぎしか心を許す相手がいない。そういうわけで、男は折にふれて物言わぬうなぎに向かって話しかけるのだ。うなぎに頼らずにすむようになるのは、男が女に心を許したときだった。というのがこの映画のラスト・メッセージである。

全体としてコメディ・タッチでできているので、深刻な題材を扱っているわりには肩が凝らない。

なお、柄本明演じる刑務所仲間というのが出てきて、主人公の役所になにかと嫌がらせをするのだが、その理由が面白い。俺はムショ帰りと白い目で見られ、周りから差別されているのに、お前は自分の過去を隠して床屋を営み、隣人ともうまく付き合っているうえに女まで作っているのは許せないというのだ。つまり嫉妬しているわけだが、刑務所仲間同士の嫉妬がお互いの脚を引っ張り合うというのは、すこし意外なメッセージだ。日本では、刑務所帰りが地域社会から排除されるのはよくあることだが、刑務所仲間同士が足を引っ張り合って、互いにムショ帰りを促進する構図というのは聞いたことがない。今村はどういうつもりで、こういう話を挿入したのだろうか。





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