壺齋散人の 映画探検
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古都:中村登



中村登の1963年の映画「古都」は、川端康成の同名の小説を映画化したものである。川端の原作であるから筋書きは退屈であるし、二役を演じている主演の岩下志麻の演技もぎこちないのだが、今でも十分に見る価値はある。というより、今でこそ見る価値がある。この映画は、オリンピック直前の京都の街を舞台にしており、開発で変化する前の、古き時代の京都の街のたたずまいがそっくりそのまま映し出されている。いわば映像を通じて京都の街を冷凍保存しているようなものなのである。

岩下志麻演じる双子の片割れは捨て子(姉の千恵子)であったが、京都室町の和服問屋の夫婦に拾われて育ったということになっている。その彼女をめぐって、色々な人間模様が展開する。そこにはたいしたドラマもないのだが、彼女が行く先々の風景が、京都という都市に関心を抱くものには、非常にすばらしく映る。平安神宮、東福寺、清水寺、化野念仏寺といった観光地はもとより、室町、祇園、西陣、北野といった古い京都の街の様子がなつかしく映し出されるのだ。室町通りなどは、狭い道をはさんで低い家並みが連なる戦前のままの姿である。烏丸通りや御池通りが出てこないのは残念だが、これだけ見ても、京都の街がここ半世紀のあいだにいかに激変したか、よくわかる。

千恵子は、北山杉の里で、双子の片割れである妹の苗子と出会う。この里は、京都北郊北山の山中にあり、鬱蒼とした杉の林に囲まれている。そこを流れている小さな川は、高山寺の脇を流れる清滝川の上流だろう。双子の両親は、北山で樵をしていたが、父親も母親も彼女らが幼いうちに死んだ。いまや孤児になった姉妹が、大人になって再会し、肉親のぬくもりを求め合うと言うのが、この映画、というかこの物語の眼目だが、そこにはたいしたドラマがあるわけでもなく、どちらかといえば退屈にさせられる。退屈しないで見ていられるのは、京都の古き時代のたたずまいがそのまま再現されているからだ。

ひとつ面白いのは、千恵子の店に織物を収めている西陣の機織の息子(長門裕之)が千恵子に抱く恋心だ。その恋心を親がいさめる。身分が違うという理由だ。身分という点では、別々に育った姉妹のうち、妹のほうはしがない樵であり、それがいまや室町の旧家のお嬢さんに収まっている姉に対して遠慮を感じる。彼女は姉のことを、お姉さんではなく、お嬢さんと呼ぶのだ。こうした身分意識は、川端がまったく疑問を感じていないところで、そうした川端の人間観をこの映画も反映しているようにみえる。

宮口精二演じる千恵子の養父もかなり因習的な人間として描かれている。弱い立場のものにたいしては居丈高に望み、強いものには膝を屈する。と思うと、まだ十代前半の芸妓志望の少女に色気を感じて、彼女のいる店に通いつめるといった具合に、どちらかというと卑屈な人間像に描かれているが、こういういやらしい人物像は、「雪国」の島村をはじめとして、川端の小説に出てくる男たちに共通したものだ。

その養父が通う茶屋というのが、上七軒にあるということになっている。上七軒といえば北野天神の門前にあった茶屋街だ。いまはほとんど古い時代の様子は残っていない。その茶屋の中の様子がどこかで見たような気がする。小津安二郎の一連の映画の中で出てきたような気がするのは、おそらく松竹の撮影所が使いまわしていたせいではないかと思われる。





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