壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真ブレイク詩集西洋哲学 プロフィール掲示板




蒲田行進曲:深作欣二



「蒲田行進曲」は、松竹蒲田撮影所の所歌として歌われたという。戦前の流行歌で、蒲田撮影所とは直接の関係はないようだが、なぜか蒲田撮影所のシンボルとして関係者から愛されたのだそうだ。その「蒲田行進曲」を冠した映画だから、当然蒲田撮影所が舞台になっているのだろうと、誰もが受け止めるところだが、この映画の舞台になっているのは、松竹蒲田撮影所ではなく、東映の京都撮影所なのである。しかもこの映画は、松竹の肝いりで作られたが、東映出身の深作欣二が監督を勤めている。妙な因縁を感じさせる映画である。

原作はつかこうへいの同名の舞台作品である。東映の京都撮影所を舞台にして、俳優たち、とくに大部屋の俳優の生態に焦点をあてつつ、映画人同士の人間関係に男女の恋愛をからめた、一種の人情劇である。

売れっ子俳優と大部屋の三文役者との関係が、ある種の身分差別として描かれている。売れっ子俳優が絶対の権力を持ち、大部屋の下積みがそれに卑屈に従属するという関係がまず描かれる。こういう関係は、相撲取りの世界に典型的に見られるものだが、映画の世界でも同じだと、つかは捉えたようだ。実際にそうだったのかどうかは、筆者のような門外漢にはわからないが。

こうした身分差別のようなものは、売れっ子俳優が邪魔になった女を目下の大部屋に押し付けるところにも現れる。この映画は、邪魔になった女である松坂慶子とその女を売れっ子俳優から押し付けられた大部屋の下積み平田満を中心に展開していく。

平田満は、売れっ子俳優の風間杜夫に絶対的な服従を誓っている。二人の間には決定的な身分差別がある。平田は、風間が妊娠させた松坂を押し付けられて、結婚してやるように言われ、その通りにする。風間に対する服従心も無論あるが、松坂が好きでもあったからだ。松坂のほうでも、平田のひたむきさに惹かれ、彼と結婚することを願うようになる。

風間は新撰組をテーマにした映画の撮影中だ。この映画にはライバルの俳優が競演していて、それぞれが映画の主導権をめぐって競い合っている。風間は、自分が映画の主導権を握りたい為に、壮絶なアクションを成功させたいと考えている。土方歳三を演じる自分が池田屋襲撃のシーンで大立ち周りを演じ、切り殺した浪人が階段を転げ落ちるシーンを差し挟もうというのだ。階段は十メートル以上もの高さで、しかも急な勾配だ。そこを落ちれば無事ではすまない。場合によっては死ぬかもしれない。それでも平田は自分から志願してその役をこなそうとする。身分差別の人間関係が、いつのまにか平田に、自分から進んでそんな事態を受け入れるようにさせていたというのである。

平田は万が一の場合を考え生命保険に入ったりして問題のシーンの撮影に臨む。そんな平田を見た松坂は耐え切れなくなる。子供がもうすぐ生まれてくるのに、死ぬかもしれない仕事を、売れっ子俳優の見得のためにやるのは馬鹿げていると、ごくまともな反応をするわけだ。そんな当たり前のことを言う松坂を、平田は散々足蹴にする。それには、彼女の腹の中の子が自分の子ではない上に、その子を捨てた父親のために自分は命をかけている、その理不尽さと情けなさと嫉妬のために、気分がひっくり返ってしまったのだ。

衆目の前でシーンの撮影が行われ、平田は長い階段を転げ落ちる。大怪我はしたが命に別状はなかった。平田が落ちた瞬間に、松坂は出産する。平田のことが心配でいてもたってもいられなくなり、産婦人科を抜け出して撮影所まで駆けつけてきていたのだ。彼女は雪の降りしきる中で産気づくのである。

平田が生き残り、新しい命が生まれたところで、映画はハッピーエンドになる。そのシーンに「蒲田行進曲」のメロディが流れ渡るというわけである。

こんなわけでこの映画は、映画人たちの間の特異な人間関係を淡々と描き出しながら、それについてとりわけ何をいうわけでもない。こういう世界も世の中にはあるのだ、というような諦観のようなものが伝わってくるだけである。

松坂慶子の演技がよい。売れなくなった女優として、いまや売れっ子の俳優と自堕落な関係に溺れながら、肝心なところでは芯の強さを感じさせる。その芯の強さは、男たちの身分秩序をそれとして受け入れた上で、男たちの面子を立ててやろうという姿勢に現れている。こういうタイプの女は、やくざの女房を筆頭として、かつての日本の女の一つの典型でもあった。

その女に対して男たちは、表面では偉そうにふるまうが、いざとなると女の胸に飛び込んで甘えようとする。この映画でも、売れっ子俳優の風間が、世間からつまはじきにされ、新しい女にも逃げられると、再び松坂のもとにやってきて、彼女の保護を求めて甘えるのである。それに対して松坂のほうは、観音さまのような慈愛を以て臨むが、いまや別に愛する男がいる手前もあり、風間の求愛を跳ね除けるのである。当たり前のことであるが。

「仁義なき戦い」シリーズで男たちの愚かな世界を描いた深作が、この映画では女に焦点を当てて、女の目から見た人間の愚かしさを描いたわけだ。





HOME日本映画









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2016
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである