壺齋散人の 映画探検
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夢千代日記:浦山桐郎



映画「夢千代日記」は、1981年2月から1984年3月にかけて、三回のシリーズにわけて断続的に放送されたテレビドラマを映画化したものだ。テレビ、映画とも主人公の夢千代を演じた吉永小百合は、この作品を通じて、それまでの清純派女優のイメージから脱して、陰影を感じさせる大女優へと成長した。吉永を女優として売り出した浦山桐郎が、その吉永を風格ある大女優にしたわけで、吉永本人にとってこの映画は感慨深いものがあろうと思う。

テレビドラマのほうは、筆者は見ていないのだが、大変な評判で、高い視聴率を記録したようだ。だからそれが映画化されたとき、多くの観客にはテレビドラマの印象がまだ強く残っていたに違いない。映画はそれを前提としているかのように、物語の背景についてはあまり語らない。一人の女性が、一人の男に心をひかれ、人生の終わりを激しく生きようとするさまを淡々と描いている。

この映画の最大のポイントは、母親の胎内で被爆したいわゆる原爆被爆者二世の生き方(あるいは死に方)を描いたところにある。被爆した母親を早くに失い、自分自身も原爆症におびえている女性が、いよいよ病気が進行して余命いくばくもないと宣告される。そんな彼女が、一人の男と出あって、その男を深く愛するようになる。その愛は彼女にとって、この世に生きていたことの証としての意味をもつことなのだ。一方愛された男のほうは、父親殺しの罪で逃走中の身ということになっている。そんな男が、女に愛されることは、自分自身を世の中にさらすことにつながり、身の破滅につながるかもしれない。しかし、男は女の激しい愛に心を動かされ、自分の身の危険を顧みずに、その愛に応えようとする。女にとって命の証である愛が、男にとっては自分の破滅につながるという点で、なんとも悲しい愛だ。それでいて、愛の崇高さのようなものを感じさせる。この映画はだから、究極の恋愛映画といってよい。

物語の舞台は、山陰地方の山間にある湯村温泉。渓流沿いの風情ある温泉で、冬には雪が積もる。主人公の夢千代はそこで芸者の置屋を営んでいる。何故芸者の置屋なのか、映画は詳しく語らないが、おそらく死んだ母親が娘に残した商売なのだろう。娘の夢千代はその死んだ母親の位牌に向かって、一日の出来事を報告し、またそれを日記に書き記す。夢千代日記という題名は、彼女が日々つけている日記から来ているのである。

この温泉に、旅回りの芸人一座がやってくる。一座の座長は、小川真由美演じる女剣劇芸人だ。小川真由美はどんな映画に出ても、圧倒的な存在感を示す女優なのだが、この映画の中では吉永の発するオーラに押され気味のように見えた。女二人は並び立たないということらしい。

映画は、置屋に所属する芸者たちの生き方や、芸人一座の興業ぶり、そして地元のストリッパーたちなどの生態を描き出す。二時間以上に及ぶこの映画の大部分は、映画の本筋とははずれたそうした場面からなっている。たとえば、子供のいない夫婦のために自分の腹を貸す女、人生に絶望して、母親の位牌を手にしながら入水自殺を図る女、命脈の尽きた老画家の妾になり、裸のモデルを勤めることで老人の生きる意欲を掻き立てる女など、それぞれにつつましい女の生き方が、女たちに寄り添うような視点から描き出される。この映画の魅力は、そうした部分にも多くを負っていると思う。

北大路欣也が演じる手配中の男は、旅芸人の一座と共に、湯村温泉にやってくる。その途中に乗っていた列車の中でたまたま夢千代と一緒になるのだが、夢千代がそこで目撃した心中がきっかけで、二人は近づきあうことになる。夢千代はこの心中が殺人事件と間違えられ、心中の生き残りの片割れたる男が逮捕されるのを見て、疑いを晴らしてやろうとする。そのために、自分と同じように心中の場面を見た北大路に、警察に証言してほしいと頼むのだが、逃走中の北大路には、そんな危険なまねはできない。そこで船で隠岐の島に逃れる。そうこうしているうちに、地元の刑事が北大路の素性をかぎつける。それを知った夢千代は、北大路の後を追って隠岐の島にわたる。そこで再会した二人はついに抱き合って愛を誓う。その時に夢千代は男に向かって、あなたの命をくださいと懇願するのだが、折角命をもらっても、彼女にはそれをはぐくむ時間は残されていないのだ。

病気が悪化した夢千代を、北大路が連れて戻ろうとするのを、夢千代は強く制止する。あと一ヶ月ばかりで時効が成立するのを前にして、自殺行為のようなことは止めてほしいというのだ。だが北大路は、そんな彼女を背負って彼女の家に戻ってゆく。だが戻っていった自分の家で夢千代は息を引き取り、北大路は刑事の手にかかって逮捕されるのだ。なんとも切ない結末ではないか。

映画の中で北大路が、父親殺しを語る場面がある。そのなかで北大路は、父親殺しは普通の殺人より罪が大きいと言う。当時はまだ尊属殺重罰規定が生きていたのだと思う。





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