壺齋散人の 映画探検
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独立愚連隊:岡本喜八



岡本喜八の「独立愚連隊」は、戦争映画ということになっているが、戦争映画としては変り種である。一応、戦争は描かれているし、戦争が人間にとって持つ意味のようなものも、描かれていないわけではない。しかし、それらは話の筋からすれば付け足しのようなもので、本筋は別のところにある。自分の弟を所属部隊によって謀殺されたと疑った兄が、その疑いを晴らした上で、弟の仇を討つというものだ。これはどうみても戦争映画のシナリオとしてはふさわしくない。ミステリー映画か、あるいはせいぜいアクション映画にふさわしいシナリオだ。そんなこともあってこの映画は、公開当時戦争アクション映画などと宣伝された。

その宣伝が効を奏したのかどうか、この映画は興行的には大ヒットしたそうだ。公開された1959年という年は、戦争の記憶が薄れてきつつあったとはいえ、まだ人々の心の深層にどっかと座っていた。そんな人々にとってこの映画は、戦争を気晴らしの種のようにしているように見えただろうし、軍人たちの行動をだいぶ茶化して描いていると映ったに違いない。だが、この映画が戦争を茶化しているのは不謹慎だという反応は、表向きはほとんどなかったようだ。

当時の日本人の戦争に対する向かい方は、プラスイメージと言うよりマイナスイメージに彩られていたから、戦争をこのように喜劇的に描いた作品と言うのは、不謹慎だというよりも、ある意味カタルシスを伴うものと映ったように思われる。

この映画に出てくる日本軍は、軍隊としての体裁をまったくなしていない。一部の悪党が部隊の実験を握り、その連中が軍隊を私物化して利益をむさぼっている。主人公の弟は、彼らの不正を暴こうとして、殺されたのである。こんな軍隊が存在するわけもないし、かりに存在したとしても長続きはしないはずだ。そのとおり、この悪党たちは主人公によって征伐されるのであるが、その征伐と言うのが、時代劇に出てくる悪の征伐を思わせる。戦場での出来事とは到底いえない荒唐無稽なものだ。

この映画の中で唯一軍隊らしいものといえば、独立愚連隊である。これは、本隊の中から屑を集めて編成した分隊ということになっており、最も危険な任務につかされている。愚連隊という名にふさわしく、兵隊たちはみなやくざものばかりで、規律も何もない。ところが最後には、そんな連中がもっとも軍人らしい働きをする。ということでこの映画は、日本軍の士気のでたらめぶりをも描いている。もっとも軍人らしくないものたちがもっとも英雄的に振る舞い、軍人の秩序を鼻にかける者たちがもっとも卑劣な振舞をするのだ。だからこの映画は、日本軍の軍隊としての破綻を描いたアンチ軍隊映画、或は戦意喪失映画とも言えよう。

主人公である脱走兵の描き方も、かなりふざけている。この兵隊(佐藤允)は、新聞記者を装って独立愚連隊に侵入し、弟の死の真相を突き止めようとする。彼の行動振りは破天荒そのものだ。まるで西部劇に出てくるさすらいの一匹狼よろしく、傍若無人な振舞いをする。その振舞いを、周りの兵士たちが誰も咎めない。却って彼の振舞いに手を貸すもののほうが多いくらいだ。この男には一つ不思議な能力があって、命の危機が迫ってくると、いち早くそれを察知して安全な方向へ逃げ延びることができる。この能力のおかげで、この男は何度も危機を脱し、周りの人間の命を救ったりもする。人間、生死をわける危機に臨んでは、論理やへったくれではなく、カンと果敢な行動が物を言う、というわけであろう。

そんな脱走兵と独立愚連隊の指揮官(中谷一郎)との間で奇妙な友情が成立する。脱走兵は当初、この指揮官を弟殺しにかかわりがあるとにらんでいたのだが、弟を殺したのは本隊の副官であることを知るに及び、この指揮官と強い友情で結ばれる。彼らは最後には、たった10人の部隊で500人の中国軍と戦い、それを殲滅するのだが、その活躍を支えていたのは、男同士の厚い友情であったと言うのである。これはもう、兵隊映画ではなく、やくざ映画の分野に属するといってもよい。

普通、戦争映画といえば、日本軍が敵軍と戦うというのが主なテーマになるはずだ。ところがこの映画では、日本軍内部の対立が主なテーマになっている。日本軍内部の正義の分子が同じ日本軍内部の悪の分子と戦う、というのがこの映画のテーマなのだ。無論、日本軍と敵軍との戦いも出てくる。この映画の舞台となったのは、中国北部戦線であるから、敵軍は中国軍、それも八路軍ということになっている。映画の最後の場面は、500人の八路軍を相手にたった10人の日本軍が戦うところを描いている。そこで日本軍は英雄的な戦いぶりを発揮し、圧倒的な数の差を精神力で埋め合わせる。奇跡が起こり、八路軍は全滅、主人公の脱走兵は生き延びるのだ。

それにしても、こうした設定は能天気と言うほかはない。この映画を見れば誰でも、正義は独立愚連隊の行いにあり、八路軍は彼らによって征伐されるべき悪ということになる。しかし、中国人から見れば、日本軍は中国の国土を蹂躙する侵略者であり、それを迎え撃つ中国軍は祖国防衛の英雄たちということになるはずだ。だが、この映画の中では、中国軍は腰抜けたちの集まりであり、独立愚連隊は少数とはいえ精鋭部隊である。勇敢な精鋭たちが腰抜けの軍隊、いわば烏合の衆を撃破する。痛快そのものではないか、という風に描かれているわけである。

もうひとつ、この映画にはわけのわからぬ人物像が登場する。鶴田浩二演ずる馬賊の親分だ。この親分は、恐らく妹の命を助けてもらったことでこの脱走兵に感謝し、その感謝が嵩じて友情を抱くようになるわけだが、なぜ中国人の彼が、中国人の同胞ではなく敵国の人間に友情を抱いたのか。その辺は、あまり深く掘り下げられていない。戦争という極限の状況下では、いろいろ不思議なことが起こるものだ、だからこんなことが起きても不思議ではない、とでも言っているかのようだ。

こんなわけでこの映画には、消化不良になりそうなわけのわからぬところが多いのだが、そんなわけのわからなさを、哄笑で吹き飛ばす、といったある種の大らかさがある。その大らかさがこの映画を、当時の日本人に受け入れさせたのではないか。





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