壺齋散人の 映画探検
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深作欣二「仁義なき戦い 広島死闘篇」



仁義なき戦いシリーズ第二作「広島死闘篇」は、副題にあるとおり、広島のやくざたちの死闘を描いた作品である。菅原文太演じる呉のやくざ広能は脇役で、主役は広島のやくざたち、とりわけ北王子欣也演じる若いやくざである。この若いやくざが、広島のやくざたちの勢力争いの中で、一歯車になり、次々と暴力沙汰を繰り広げた挙句、最後は警察官に取り囲まれて、拳銃で自殺するというものである。この若いやくざと刑務所の中で知り合った広能は、蔭に日になって面倒を見てやるが、外の土地のやくざの抗争に深いかかわりを持つわけにもいかず、いわば見殺しにするというような展開になっている。やくざの世界には、義理も人情も通じない、むき出しの暴力だけが物を言う、そんなふうに思わせるところが、相変わらずこのシリーズのすごいところだ。

舞台は戦後間もない頃、昭和25年頃から30年頃にかけての広島の町。原爆を落とされていったんは廃墟となった広島だが、生き残った人間たちのすさまじいエネルギーで復興してゆく。その復興につきまとうかのように、やくざの世界も台頭してくる。町の復興もやくざの台頭も、殆どゼロからのスタートだから、なにもかも新しくやらねばならない。やくざの世界も、昔のしがらみとは無関係に、強いものが弱い者を跳ね飛ばしてのし上がってくる。綺麗ごとは一切ない。力だけが物を言う。

その力と力のぶつかり合いが、この映画の最大の見所だ。それに北王子欣也演じる若いやくざと、夫を特攻で亡くした未亡人(梶芽衣子)の切ない恋がからむ。やくざに恋なんて似合わないとばかり、この愛し合う二人は結ばれることがない。そこが見ているものの眼には切なく映るのだ。

梶芽衣子演じる女が、特攻で死んだ夫にいつまでも拘っている。それを見た北王子は嫉妬しない。逆に「特攻で死んだ人は大事にせにゃよ」といって、女を励まし、その子ともども愛してやる。愛された女は、その愛に応えたいと思うが、やくざの世界にはそんな愛のささやかな幸福でさえ贅沢といわんばかりに、二人は無残に引き離されるのである。

やくざの女房は義理が固いと、昔から語られてきたほどで、戦時中政治犯として豚箱に入れられた知識人、たとえば古在由重のような人が、そんなやくざの女房たちに敬意を払っていたが、この映画の中の梶芽衣子も義理にあつい女を演じていた。

やくざの殺し合いは、第一作目に劣らず迫力あるシーンの連続だ。特に千葉真一演じる極道者は、人を殺すのが趣味といった具合に、次々と人殺しを重ねる。川谷拓三演じるチンピラを、腕木に吊るした上で銃で惨殺するところなどは、ぞっとするほど迫力がある。こうした悪行にもかかわらずなかなかつかまらないのは、ある種の人徳の致すところか。つかまっても殺されることはないのだ。逆に、こいつに酷い目にあい、その命をねらっていた北王子のほうが、破滅する結果となるのである。

この映画の中のやくざたちも、警察とは適当に仲良くやっている。警察のほうも、治安維持のためにやくざを使っているフシがある。だが世の中がだんだん落ち着きを取り戻し、警察の威信が高まるにしたがい、警察のほうでは、やくざに対して強気に出るようになる。だからやくざがいつまでも警察を甘く見ていると、「いつまでも警察を舐めとったら承知せんぞ」といって脅かすのである。

やくざたちが相争う最大の原因は利権だ。伝統的な任侠系やくざと違って、この映画の中のやくざたちは規模の大きな経済利権の獲得を目指す経済やくざだ。利権の中でも競輪などは最もうまみのあるものだ。だから市営競輪場の管理運営をめぐる利権にありつこうとして、お互いに切磋琢磨するわけである。その努力の形が、相手方のやくざを根こそぎ消すことであるわけだ。

これに比べれば広能などは、スクラップ置場の見張り番をやっていることになっている。やくざとしてはかなりしけているわけだ。それは広能が、まだ古い人間で、任侠道にこだわりをもっているからだというふうに伝わってくる。儲けの良いやくざは、うまいものを食って、いい女を抱いているが、広能のような貧乏やくざは、日銭にも困窮し、牛肉の代わりに狗の肉を食って我慢せざるを得ない。

第一作同様、この映画もひとりのやくざ(北王子)の葬式の場面でおわる。一作目では、兄弟分を殺されてかなり頭にきている広能が、祭壇に向かって拳銃を乱射したが、この映画の中の広能は、だいぶ頭にきてはいても、怒りを抑えている。その何ともいえずどっちつかずの表情が、観客に色々なことを考えさせるというわけである。



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