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深作欣二「仁義なき戦い 頂上作戦」



「仁義なき戦い」シリーズの第四作目「頂上作戦」は、深作欣二の監督によるこのシリーズ最後の作品である。戦後まもなくの頃から繰り広げられてきた広島やくざの抗争が、市民社会によって糾弾され、表舞台から消滅してゆくところを描いている。そんなこともあって、この映画は、先行する作品群に比べて迫力に欠けるところがある。主人公の広能(菅原文太)は途中からいなくなってしまうし、やくざ同士の抗争も、たがが外れて筋の通ったところがない。闇雲に殺しあっているといった印象を受ける。

「頂上作戦」とは、警察による暴力団対策をさしていう言葉だ。これまでやくざ同士の抗争に対して、真剣に取り組んでこなかったことを市民社会から批判された警察が、自らの面目を保つ為に、暴力団の取り締まりに乗り出す。そのやり方と言うのが、やくざ組織のトップを狙い打ちに捕獲することで、組織の求心力を骨抜きにしようとするものだ。頭のない組織は、妄動を繰り返しているうち、やがて消滅していくだろう。そんな思惑にもとづいた作戦である。

この映画の舞台は、オリンピック直前の日本社会だ。その頃の日本社会は戦後の混乱から脱して、高度成長に向けてまっしぐらに走りかけていた。そんな時代にあってやくざたちは、あいかわらず古い因縁にこだわって争い続けている。その争いが、やくざ同士にとどまらず、一般の市民にも多大な迷惑を及ぼすようになって、市民社会はその取締りを警察に強く求めた。いまや警察も、やくざとナアナアでやっていられる時代ではない。世間の厳しい目を意識しないではおれない。というわけで、警察の威信をかけたやくざ対策が進行する。広能たちは、そんな警察の意気込みに飲まれて、あっさりと刑務所に送られてしまうのである。

長年の因縁から、広島のやくざは主流派の山守一派と、それに対抗する広能たちの一派に別れてすさまじい戦いを展開する。広能はいまや、怨念の鬼と化し、宿敵山守を殺すことしか頭にない。そんな広能に深刻な命の危機を感じた山守が、警察に垂れ込んで広能を逮捕させる。その結果広能は懲役七年の実刑に服するハメになる。広能に続いて、山守はじめ広能の敵たちも次々と逮捕される。こうして広島のやくざ組織は頭のない烏合の衆と化し、次第に沈静化してゆくというわけである。

途中から画面から消えてしまった広能を、小林旭演じるやくざが、刑務所内で面会するシーンが最後に出てくる。その会話の中で広能は、「口が肥えて、寒さがこたえるようではのお」と言って、もはややくざを続けていくことが自分にとっていかに困難になったか、しみじみと語る。やくざもハングリー精神がなくなったら終わりだというのであろう。その際「これからは政治結社でもやるか」と言うのであるが、これは要するに、ゆすりたかりをこととする右翼のことを言っているのであろう。任侠やくざにくらべれば右翼のほうが、労少なくして功多しと言いたいようである。

映画の終末に当たって、いわゆる広島抗争のすさまじさが数字として示される。死者17人、負傷者26人、逮捕者約1500人というのである。



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