壺齋散人の 映画探検
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緋牡丹博徒 お竜参上:藤純子の女侠客映画



緋牡丹博徒シリーズは、1960年代末から70年代初頭にかけて計八作が作られ、いずれも大ヒットした。東映やくざシリーズのなかでも異色のシリーズだ。映画の中のやくざといえばマッチョでセンチな男たちが義理と人情のはざまで悩みながら、悪を亡ぼし正義を実現するというのがパターンだが、緋牡丹博徒シリーズは女だてらにクールなやくざが、悪党どもを次々と退治するというもので、その聊か倒錯した振舞い方が全国の観客を魅了した。

この手の映画は、主人公の魅力もさることながら、悪事を働く悪党の、その悪の程度がすごければすごいほど、それだけ迫力も増す。緋牡丹博徒シリーズに出てくる悪党どもは誰もみなすさまじい悪辣さを発揮するので、いずれも迫力満点だが、なかでも六作目の「お竜参上」はとびきり迫力があると評判だ。

この映画に出てくる悪党は、安倍徹演じるやくざの親分だが、これが半端な悪党ぶりではない。とにかく人間として考えられる究極的な悪党とはこいつのことだと思えるほど、すさまじい悪ぶりを演じている。その悪の演技があるおかげで、藤純子演じる女侠客の正義ぶりが際立って見えると言うわけだ。

安部は悪役でならした俳優だが、この映画を始めどの映画でも光った悪辣さを演じていた。こういう俳優は非常に貴重な存在というべきだ。

この映画の魅力はその悪党に、正義の味方となった藤純子が正面から挑みかかり、女の手ひとつでそいつをやっつけることだ。なにしろ藤純子は、相手が大勢で待ち伏せしているとわかっていながら、単身で乗り込んでいこうとする。そこへ菅原文太演じる旅鴉が助っ人をするものの、敵の大将は藤純子が一人でやっつけるのである。それも短刀一本で次々と遅いかから敵を倒しながら、最期には大将の安倍を追い詰めて退治するのである。退治された安倍は浅草凌雲閣のてっぺんから地上に転げ落ちるというわけである。

嵐完寿郎がその浅草を仕切るやくざということになっており、これが安倍の子分たちによって殺される。だから藤純子の戦いは嵐の敵討ちという意味を持つ。やくざはたいした理由もなく殺傷をしないが、理由があるときには命を懸けて敵を倒すのが掟だというメッセージが強く伝わってくる。

任侠映画がもてはやされたのは、そうしたやくざたちの生き方が人々の共感を得たためだと思うが、現実のやくざがそのような格好良いものだったかどうかは、また別問題だ。

とにかくこの映画は数あるやくざ映画の中でも、指折りの傑作と言えるのではないか。藤純子が安倍を殺す時に言う言葉「命を頂戴します」はしびれる言葉だ。そのしびれる言葉が女侠客の口から出てくると、誰だってしびれにしびれるに違いない。




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