壺齋散人の 映画探検
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ミンボーの女:伊丹十三



伊丹十三の映画「ミンボーの女」は、日頃やくざのゆすり・たかりに悩んでいたホテルのスタッフが、勇敢な女弁護士や警察の協力を仰ぎながら、敢然としてやくざたちに立ち向かい、ついには撃退するという内容である。言ってみれば、やくざ撃退についてのハウツーものである。「お葬式」や「タンポポ」といった映画でハウツーものを手がけてきた伊丹としては、その延長線上にあるものだ。ところが、扱ったテーマがやくざということもあって、この映画のために伊丹はやくざとの間で軋轢を生じ、顔を切りつけられて大怪我をしたり、上映を妨害されたりもした。彼の死はいまだに謎の部分が多いと言われるが、その謎にはやくざの陰もさしている。つまり伊丹は、命がけでこの映画を作ったということだ。

「ミンボー」というのは、映画の主人公である女弁護士の井上まひる(宮本信子)が自ら解説しているように、「民事介入暴力」の略語である。民事介入暴力とは、民間同士の取引やいざこざにやくざが介入し、金銭などの利益享受を目的に暴力を揮うことをさす。こうした民亊上の事柄については、警察は民亊不介入の原則を振りかざして介入することを控えるので、やくざはそこに付け込む形で、暴力を揮い、脅された民間人は鳴き寝入りするケースが多い。そのため、やくざは味をしめて、暴力の度合いをいよいよエスカレートさせるわけである。

この映画が描いているのは、民間同士のいざこざにやくざが介入する典型的な民亊介入暴力というよりは、やくざによる民間人を対象にした直接的な暴力沙汰である。その意味では民亊介入暴力というよりは、立派な刑事事件と言ってもよいのであるが、やくざに脅かされた人々は、それを犯罪と捉える冷静さを失い、ただただおびえるばかり。そこにやくざが付け込んで、要求をエスカレートさせてゆく。それをどうやって断ち切り、やくざとの縁を切るか。これがこの映画のテーマである。

舞台となるのはホテル・ヨーロッパという巨大ホテル。このホテルはやくざに甘いと言う噂が立ち、全国からやくざたちがやって来て、ホテル内を闊歩するばかりか、あれやこれやと因縁をつけて金銭を要求している。そのため、高級ホテルに関わらず、評判はイマイチ。サミット会場の候補からも外されてしまう。それに危機感を抱いたホテルの経営者が、やくざ撃退に向けて動き出す。だが、素人集団のこと、どうやって撃退するかがわからぬばかりか、いよいよますますやくざに付け込まれる始末。そこで、ミンボー対策を専門とする女弁護士が雇われて、ホテルの従業員にやくざ対策のノウハウを教えながら、自ら戦闘にたってやくざと立ち向かうのである。

この映画に出てくるやくざたちは、非常に頭がよい人間として描かれている。彼等はただ喚くばかりではなく、相手の弱みに付け込んで精神的に追い込んでゆく知的なやくざ、つまりインテリのはしくれなのだ。そのやりくちは実に狡猾で、自分たちで仕組んだ罠に相手を誘い込み、相手をパニックに陥らせた上で、金を巻き上げる。たとえば、ホテルのレストランで食事中に、料理の中にゴキブリを混ぜ、それをたねにしてホテルをゆするといった具合だ。これなどは、ごく初歩的なトリックだが、なかには芝居じみた大掛かりな罠もある。こうしたトリックは、冷静に見ればすぐに見破ることができ、それなりに対応することもむつかしくはないのだが、いったんパニックに陥ってしまうと、何も見えない状態になって、ただただおろおろとするばかりになる。弁護士の井上まひるは、やくざに脅されてもひるなまいで、冷静に対応するという基本的な姿勢を教えるところから始めて、次第にやくざと対等にわたりあえるように従業員たちを教育していく。

そのうち、ホテルの総支配人(宝田明)が、やくざの仕掛けたわなにはまり込んで、にっちもさっちも行かない事態に追い詰められる。獲物が総支配人とあって、相手の対応も芝居じみた大げさ振りを呈し、要求も十億円と桁外れになっていく。ホテルの総支配人なら出すのが不可能な金ではない。というわけで、やくざにとっても自分らの命運をかけた案件となり、組織をあげて総支配人を追及する。これに対して井上弁護士は、ホテル従業員の気を引き締める一方、警察の協力も得て、やくざたちを一網打尽に逮捕する算段をする。

このやりとりのプロセスで、井上弁護士がチンピラに刺されるというハプニングが起こるが、弁護士の教育で成長したホテルの従業員たちが、井上弁護士の敷いた路線を誠実に歩み、ついにはやくざたちを一網打尽にすることに成功する、というのが一応の結末だ。

要するに、ハッピーエンドになっているわけだが、これはハウツーものという映画の性格からして当然のことだろう。こうすれば、あなたにもやくざが撃退できますよ、というメッセージを送っているわけだ。

しかし、こんなふうに描かれたやくざにとっては、面白くはないだろう。第一、この映画を見た連中がやくざを恐れなくなったとしたら、市民の恐怖心に自分たちの存在根拠を持っていると感じている彼らとしては、商売がやりにくくなってしょうがないだろう。彼等が伊丹十三に怒りを向けたのは、ある意味当然かも知れぬ。





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