壺齋散人の 映画探検
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大林宣彦の映画「この空の花 長岡花火物語」



大林宣彦の2014年の映画「この空の花 長岡花火物語」は、副題にもあるとおり、長岡名物の花火を中心にして、それに第二次大戦末期の米軍による長岡大空襲とか、さらにその前に長岡が体験した戊辰戦争とかを絡めて、戦争の意味を考えさせるとともに、2011年の3・11についても言及している。随分雑多な要素を盛り込んだわけだが、大林本人としては、地震のような天災がある意味避けがたいのに対して、戦争は人災であって、人間の知恵で避けられるということを訴えたかったようである。

つまりこの映画はかなり啓蒙的な意図を感じさせる作品なのである。その意図が映画の作り方にも強く反映している。通常の劇場映画と異なって、この作品にはドキュメンタリーを思わせるような要素が感じられ、しかも高校生たちを登場させて戦争の意味を考えさせている。映画全体の筋書きは、高校生たちが長岡大空襲の現場を演劇という形で再現する過程で、空襲の爆弾を花火に結び付けたり、空襲の直接の犠牲者を登場させたりして、戦争のむごさとか無意味さについて考えさせるというものだ。その犠牲者の中には、今は死んで生きていない人も含まれているので、観客は現実と夢想との間をいったり来たりしているような感覚に襲われる。その辺はファンタジーを駆使した映画作りが得意な大林の面目躍如といったところである。

一応主人公はいる。松雪泰子演じる長崎の地方新聞の記者だ。彼女が取材のために長岡にやって来て、土地の新聞記者(原田夏希)の協力を得ながら長岡大空襲と長岡花火についての取材をするうちに、戦争と平和の意味についての考え方を深めていくという構成になっている。しかし彼女はあくまでも狂言回しのような役割に徹していて、本当の主人公たちは、長岡の空襲や花火にかかわった人々、そして彼らをテーマにして戦争を考えることをテーマにした演劇を催す高校生たちといってよい。

その高校生の一人に不思議な少女がいて、その少女が書いたという台本をもとに演劇が演じられるという設定になっている。その台本は長岡空襲でひどい目にあった人々の証言をもとに作られたものなのだが、その中には、長崎原爆の被爆者の体験も含まれていた。その体験を語ったのは、自分の苦しい思いを紙芝居にして子供たちに語っている老婆なのだが、実はその老婆の死んだ娘こそが、この高校生の少女となってこの世に生き返ったのだということが映画の終わり近くで明かされる。

この辺は現実と想像とが混交した世界であって、いかにも大林らしいところだ。

映画は以上の話に加えて3,11とか中越地震のことにも言及している。中越地震は長岡が主な舞台だったこともあって、映画の流れに自然と結びついているが、3.11のほうはどうもつけたしのような扱いになっている。福島県からの避難者を登場させて、自分たちを暖かく迎えてくれた長岡の人々に感謝するといった設定なのだが、それがいかにもつけたしのように、観客には感じられるのである。もうすこし工夫があってもよかったのではないか。

大林の作品全体に共通する特徴だが、この映画もいかにも作り物という感じがする。それは理屈が先行するあまり、映画としての自然な流れが感じられないところからきているように思える。

女性記者を演じた松雪泰子は「フラガール」でのフラダンスのインストラクター役が印象的だったが、この映画のなかでもよい演技をしている。



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