壺齋散人の 映画探検
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終の信託:周防正行



周防正行の映画「終の信託」は、いわゆる尊厳死あるいは安楽死をテーマにした作品である。原作となった朔立木の同名の小説は、2002年に問題化した川崎共同病院事件を取り上げている。この事件は、重症の喘息患者から安楽死を懇願された医師が患者の意向に従って安楽死させたところ、殺人罪に問われたというものである。裁判の結果医師の有罪が確定したが(2009年12月)、何を以て尊厳死あるいは安楽死となし、何を以て殺人となすべきなのか、その境界についての社会的な合意が深まったとは、必ずしも言えなかった。周防は、そういう状況を踏まえ、尊厳死あるいは安楽死についての社会的な議論を深めたいと言う気持を込めてこの映画を作ったようである。

映画は、検察から呼び出しを受けた女性医師(草刈民代)が出頭するところから始まる。彼女は検事の取調べを受けるまでの間待合室で待機するが、その間に事件にかかわる過去を回想する。重症の喘息患者江木(役所広司)とのかかわり、同僚の医師との不倫と失恋からの自殺未遂、そして患者からの依頼を受けて安楽死させる場面などが、時間軸を追って展開していく。それを見ている限り、この医師のしたことは、人間としての生き方に反したものとはいえず、したがって同情の余地があるのだと感じさせられる。一つだけ違和感があるとすれば、医師が延命治療を中止したとき、患者が苦痛のあまり身悶えたということで、そのために医師は筋肉弛緩剤を注射して、その苦痛を和らげる、つまり死期を早める、という行為をせざるをえなかった。このことが患者の家族に強い不信感を与え、また、意図的に患者を死に至らしめたという検察側の主張につながった。

後半は、医師が検事の取調べを受ける場面だ。検事の態度は高圧的で、相手をはなから犯罪者と決め付けて、自白を誘導するような仕方だ。その誘導振りは実に巧妙なもので、理知的である医師でさえ罠にはめられるのを感じるほどだ。その挙句、医師は検事の期待していた言葉を言わされる。その瞬間検事は机の抽斗をあけて逮捕状を取り出す。この男は、始めから医師を獲物のように待ち構えていて、折りがあればハメてやろうと思っていたに違いないのだ。

この辺は、「それでもボクはやってない」で、司法当局の横暴さを暴き出した周防のこだわりが感じられるところだ。だが、前作とは違って、司法側の描き方は否定的なばかりではない。その主張には合理的な部分もあるということを感じさせる。たとえば検事は尊厳死が妥当する条件として、東海大事件について最高裁が示した尊厳死・安楽死の判断基準を持ち出す。それは次のような項目からなる。
1.患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
2.患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
4.生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること

検事は、今回のケースでは、医師の行った行為はこれらのどの条件も満たしていないと言って医師を追及するわけであるが、その言い分には法律家として筋の通ったところがある。これに対して医師のほうは、人間の情動に訴えるようなことしか言えない。つまり彼女は、世の中の常識(=決まりごと)とは外れたところで、自分の個人的な思い入れ(自然の感情)を優先させたということになってしまっている。それでは法によって糾弾されるのを免れることはできない、映画はそう言っているように聞こえる。

尊厳死・安楽死の問題は、いまだにすっきりとした解決法を見出していない。つまり社会的な合意が出来ていない。そういう状態のもとでは、医師は犯罪の汚名を被る恐れなしに、尊厳死・安楽死に積極的にかかわることは出来ない。しかし尊厳死や安楽死を望む人が存在するのは厳然とした事実であるし、その希望が重いものであるのも事実だ。そうだとしたら、どうやって折り合いをつけていったらよいのか、社会的な議論を深める必要があるのではないか。このあたりが、この映画を作った周防の問題意識なのだろう。彼は、この問題について自分自身の立ち位置を明確にしているわけではなく、問題を問題として投げかけているだけだと思われるのである。

この映画は、テーマの重さの割には人々に広く受け入れられた。この手の映画としてはめずらしいヒットを記録したのだ。おそらく多くの日本人が、尊厳死や安楽死を、自分にとって無縁ではないものとして感じ取っていたからではないか。

なお、この映画の中では、患者が少年時代を過ごした満州を懐かしがる場面が出てくる。満州は甘い思い出ばかりでなく、辛い思い出もいっぱいつまっているのだが(たとえば妹が銃撃で殺されたことなど)、そうしたすべてのことがらを超越して、ただ無闇に懐かしく迫ってくる、というふうに表現されている。それがこの患者の個人的な思い入れだと言いたいのか、あるいは一定の日本人に共通するノスタルジアを表現したものなのか、画面からは明確には伝わってこない。にもかかわらず、あるいはそれゆえにこそか、何かひっかかるものを感じさせる。





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