壺齋散人の 映画探検
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GO:行定勲



行定勲の映画「GO」は、在日コリアンをテーマにしたものである。この映画は21世紀の始めの年に上演されたのだが、世紀の変わり目が何らかの意味を持つと感じさせたものだ。20世紀の日本映画は、在日コリアンを正面から取り上げた作品を生み出さなかった(少なくともメジャーなものとしては)。ところがこの映画では、在日コリアンの生き方が正面から胸をはって描かれている。在日コリアンだって日本人と変らぬ人間なのだ、ということをこの映画は訴えているのだが、そういう映画を、日本人である行定勲が監督し、山崎勉や大竹しのぶら日本人の俳優が演じた。主演の男女カップルも日本人である。

20世紀の末近くになってようやく日本と韓国との間に和解の機運が生まれ、それがやがて韓流ブームの到来につながるのだが、この映画はそうした流れに乗って、日韓融和に一定の役割を果たしたようである。もっとも最近は再び嫌韓気分が日本社会を覆うようになってきているので、この映画はあるいは仇花のようなものになる可能性はある。

筋書きはきわめて単純だ。在日朝鮮人の少年が、国際的な認知という都合から韓国籍に変り、更に日本の学校に入ったりして日本人社会に溶け込もうとする。しかし日本の社会はそんなに甘いものではなかった。恋人になった日本人少女とは、お互い心から愛し合っていたと感じていたのに、少年が自分の出自を打ち明けるととたんにその関係が壊れてしまう。少女は言うのだ、中国人や朝鮮人は血が汚い、だから私は受け入れられない。頭ではわかるけど体がだめなの、と。これは強烈な人種差別意識だ。そういう差別意識がまだ日本社会の底流でうごめいている。

こう描くことでこの映画は、日本社会のもつ閉鎖的な部分を告発しているわけだが、なぜかそれを日本人のスタッフとキャストが主張するということが、観客に複雑な思いをさせるだろう。と言っても、映画のなかで在日コリアンに対して差別的な言動を表立ってするのは、この恋人の少女だけなのだ。それ以外には、在日コリアンを公然と侮辱するような日本人は、表向きはほとんど出てこない。映画の中で出て来る日本のやくざ社会でも、在日コリアンを差別的に扱ってはいない。そういう点で、不思議な作品だ。

この映画のゆるいところは、一旦は在日コリアンの少年を拒絶した日本人の少女が、自分から謝罪と和解を申し出るところだ。申し出られた在日の少年は、思いがけなく感じながらも、もともとは彼女を愛していたことでもあり、その謝罪と愛を受け入れる。こうすることでこの映画は、日韓両民族の和解を演出しているわけなのである。

こう書いてくると、暗いイメージがただよってしまうが、映画は決して暗くはない。かえってあっけらかんといえるほどに明るい雰囲気が満ちている。





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