壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真ブレイク詩集西洋哲学 プロフィール掲示板




美しい夏キリシマ:黒木和雄



「美しい夏キリシマ」は、戦争映画のジャンルに分類される。戦争映画といっても、戦争そのものを描いているわけではなく、戦時下の庶民の生活を描いたものだ。その点では、山田洋次が21世紀に入って作った戦争批判映画や、降旗康男の「少年H」の魁となる作品だ。この映画は、2003年の公開で、戦後半世紀以上たっていたわけだが、その時間の経過が、戦争について相対的な視点を付与させている、という面が指摘できるのではないか。

題名が示すとおり、舞台は宮崎県のキリシマ連邦の麓にある小さな町だ。その町に住むさまざまな人々の終戦直前の様子が描かれる。映画の始めの部分で、広島に原爆が投下されたことが言及され、長崎への原爆投下を経て昭和天皇の敗戦の詔勅の放送に至るまでの、短い期間の出来事が描かれるのだが、それがキリシマの雄大な自然をバックに展開するので、見ているものは人間の業の愚かさのようなものを感じさせられるといった具合なのである。美しい自然の中では人間の愚かがいっそうくっきりと浮かび上がる、というわけである。

といっても、この映画には大げさな批判的色合いといったものはない。戦争にあけくれる日本人たちは、たしかに愚かかもしれないが、その愚かさはいわば宿業のようなものだから、いまさらとやかく言っても始まらない。愚かさを愚かさとして、素直に受け取ろうではないか、そういった諦念のようなものがこの映画からは漂ってくる。戦後半世紀以上も経てば、告発調の描き方は受けない。むしろ淡々と描いたほうが映画としてのメッセージ性は強くなる、そんな姿勢が感じられる。

主人公は十六歳の少年で、彼は肺浸潤のためにお国への奉公ができないでいる。それはともかく、両親と暮らしていた満州で、仲のよかった友だちを敵の空襲の中で見殺しにしたことに拘っている。その友だちの妹というのが、沖縄から疎開してきていることになっているが、沖縄と満州がどのようにつながっているのか、映画からはよくわからない。

少年の周囲には親族はじめ、様々な人がいる。祖父母と出戻りの叔母、そして使用人の女二人。そのうちの一人は祖父の計らいで、傷痍軍人のなれの果てに嫁がされる。彼女はそれを嫌がるのだが、貧しい親のために受け入れざるをえないと感じている。もう一人には、母と弟がいるが、母親は駐屯軍の兵士を家に連れ込んでいる。兵士の運んでくるわずかな量の食料が目当てなのだ。娘はそんな母親がはずかしくてしょうがない。母親はやがて、息子とともにいずこかへ夜逃げすることとなる。

この町には陸軍の部隊が駐屯していて、それが本土決戦に備えている。自分たちだけでは兵力が不足なので、地元の夫人たちにまで竹槍を持たせ、それで鬼畜米英を殺せと叫んでいる。駐屯軍のなかでも憲兵はすさまじい威勢で、少年のような年端も行かないものにまで威張り散らす。その理由というのが、行進する兵隊たちに頭を下げなかったというものだ。まるで徳川時代の参勤交代を見せられているようだ。

祖父は孫の少年がお国のために役にたたないことを恥じ、なにかと少年にあたる。そんな祖父に少年は敵意を抱き、林の中にタコツボを掘って、そこに立てこもったりする。そしていよいよ八月の十五日を迎える。終戦をなにより喜んだのはほかならぬ駐屯軍の兵士たちだったというようなメッセージが流れる。一方少年のほうは、進駐してきたアメリカ兵たちに、竹槍を振りかざして突進してゆくのである。少年を秘かに愛する使用人の少女が、もう戦争は終わったんだから普通に生きようと呼びかけても、少年は答えない。彼にとっては戦争はまだ終わっていないのだ。

こんな具合に、敗戦直前の時期における普通の日本人の日常生活が淡々と描かれる。キリシマは大都市ではないので、空襲も受けないし、住民たちに差し迫った脅威というようなものはない。戦争は、この町ではリアルな形をとらず、竹槍精神論に象徴されるような、空疎でかつ道理にはずれたバカ騒ぎといった形をとる。そういう環境の中では、真面目な人間ほど強いダメージをこうむる。主人公の少年は、病気のために勤労奉仕を逃れ、兵役にとられることもないだろうが、その分精神的にはひどい目にあわざるを得ないのだ。

自分が見捨てた友人の妹に向かって、少年は自分を許してくれと懇願する。それはあなたのせいではないと少女に言われる。それでも何か自分がすることはないか、と重ねて訪ねると、兄の仇をうって下さい、と少女が答える。少年が進駐軍のアメリカ兵に竹槍で向かっていったのは、この少女の言葉に駆り立てられたからだ。そんなメッセージが何となく伝わってくる。





HOM日本映画21世紀編|次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2017
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである