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李相日「フラガール」:常磐ハワイアンセンターのダンシングチーム



李相日の2006年の映画「フラガール」は、常磐ハワイアンセンターのダンシングチーム結成にまつわる話を映画化したものである。常磐ハワイアンセンターというのは、1960年代半ばにできたアミューズメントセンターで、そこのアトラクションの切札として、フラダンスなど南洋風のダンスが人気をとった。この映画は、そのダンシングチームがどのようにして出来上がったか、その過程を人情味いっぱいに描いたものである。

常磐ハワイアンセンターは、かつて常磐炭鉱があったところにできた。常磐炭鉱は、日本の近代化を支えた炭鉱地帯だったが、1960年代になってエネルギー革命の嵐をうけて斜陽化した。そのままでは地域衰退の危機が待っていたわけだが、炭鉱の関係者が、新しい地域づくりの目玉として常磐ハワイアンセンターの開設を思いついた。炭鉱を掘った穴から湧き出した温水を利用して巨大な温泉施設をつくり、それを核として日本中から客を集め、地域を再生しようとする試みだった。それ故、フラダンスのダンサーたちを初め、このセンターの運営には炭鉱関係者がかかわった。壮大な地域再生プロジェクトだったわけだ。

かつて司馬遼太郎は、日本とアメリカの都市の興亡を比較して、アメリカの都市はそれがよって立つ産業基盤が衰退すると、都市自体も衰退してやがてゴーストタウンになってゆくのに対して、日本の都市は、産業基盤が衰退しても見捨てられることなく、新たな産業を開発してなんとか生き残ろうとする智恵を持っていると言ったことがあったが、それはおそらく常磐炭鉱から常磐ハワイアンセンターへと産業基盤を移行させて生き残った平(いまのいわき市)のような都市を念頭に置いた発言だったと思う。

映画は、東京から流れてきたダンサーが、炭鉱関係の娘たちにダンスを教え、やがて一流のダンスチームに作り上げてゆくプロセスを描く。全くの素人娘を、たったひとりで教育するわけであるから、そこには教える側の苦労と、教わる側の頑張りとが問題となる。最後には、教える苦労が報われ、また教わる側の頑張りが実って、ダンシングチームが成功するということになる。そのプロセスは、日本人の好きな根性物語といってよいが、普通の根性物語と違う点は、この映画の中で描かれる根性が、女たちのものだというところだ。

炭鉱の娘を演じるものたちは皆、当然のことながら茨城弁と似た言葉を話す。踊ろうを、おどっぺと言い、言葉尻を上げるしゃべり方だ。これを蒼井優ら地元の娘たちだけでなく、教師役の松雪泰子も使うようになる。彼女らが使うと、鄙の言葉も優しく聞こえてくるから不思議だ。

ハワイアンセンターの開設の動きを横目でみている炭鉱の人達は、初めは冷ややかな視線を向けていたが、やがて本人たちの熱意にほだされて協力的になってゆく。そのプロセスはいかにも日本的な人情味にあふれている。こんな素人娘を使うより、東京からプロのダンサーを呼んだらよかっぺな、という批判に対して、岸辺一徳演じるプロデューサーが、炭鉱人の、炭鉱人による、炭鉱人のためのものだから、といって自分らのしていることの意義を訴えるところが感心だ。

なお、このハワイアンセンターは、日本にいながらにしてハワイの気分が味わえるというので、開設当初は、外国旅行がまだ高嶺の花だったこともあり、大いに繁盛した。1970年代以降、円のレートが高くなるのと平行して外国旅行がさかんと成り、ハワイ旅行も珍しくなくなったことで、来場者が減少傾向を見せることもあったが、長期的なスパンで見ると、今日に至るまでけっこう頑張っている。2011年の東日本大震災は、この施設に甚大な被害をもたらしたが、それも乗り越えて、今日でも賑わっている。そのなかでフラダンスのチームも健闘しているそうだ。



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