壺齋散人の 映画探検
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紙屋悦子の青春:黒木和雄



黒木和雄は、21世紀に入って、「美しい夏キリシマ」と「父と暮せば」を作り、戦争が普通の人々にとって持った意味を問うたが、遺作となった「紙屋悦子の青春」も、その延長上にあるものだ。この作品は、戦争末期におけるある女性の生き方を描いたものだが、その女性の生き方に過度に感情移入しているわけでもなく、また戦争を表立って批判しているわけでもない。たまたま戦争末期という時代を生きた一女性の、飾らない日常を描いたものだ。もっともその日常は、彼女にとってはいささか重すぎるものであったが。

この作品は、戦争に対して強い批判意識を込めた「美しい夏キリシマ」と戦争によって人生を壊された父子を描いた「父と暮せば」に比べると、ややおとなしい印象を与える。その分、淡々たる時間の流れに込められた戦時の日常の記憶が、戦争というものについて、静かに考えさせるところがある。

紙屋悦子という一女性の恋がこの映画のメインテーマである。戦争の末期に、この女性(原田知世演じる紙屋悦子)はある男を愛していたが、その男(松岡俊介演じる明石少尉)は鹿児島の航空隊の飛行機乗りであって、遠からず戦死する運命にある。そのことを知りながら紙屋悦子は飛行気乗りの明石少尉を愛している。ところが自分の死期をさとった明石は、友人の長与少尉(永瀬正敏)を悦子に紹介する。長与は整備部隊なので、とりあえず戦死する確率は低いのだ。悦子は明石の意図をいぶかしく思いながら、長与の人柄も好もしく思い、心が揺れるのを感じる。しかしその心の揺れの、整理が付かないままに、明石が戦死する。そこで悦子は、長与と結ばれる決心をする、というのがこの映画のメインプロットだ。

映画は、老年になった悦子と長与の夫婦が、戦争中のことを回想するという形をとる。しょっぱなの場面は、病院らしい建物の屋上で、二人が会話を交わす光景だ。どういういきさつからか、会話は戦争末期に二人が結ばれるにいたった経緯についてふれる。その導入の部分に映画は十二分以上を費やしている。この部分は全体が二人の会話を映し出すことからなっている。全くの会話劇だ。この場面に限らずこの映画は、ドラマティックな要素に乏しく、ほとんどが登場人物同士の会話からなっている。それが、ロングショットで長回しという溝口的な手法で撮られているので、映画は全体としてゆったりとした印象を与える。

二人が会話で明らかにする回想の内容が、この二人の青春を物語る。明石が友人の長与をつれて悦子の家を訪れる。昭和20年3月30日のことだ。その少し前に悦子の両親は東京大空襲に出会わせて命を失い、彼女はいまは兄夫婦と暮らしている。義理の姉は幼な馴染みの仲良しで、悦子が明石を慕っていることを知っている。そこへ明石が長与を連れてくる。4月8日のことだ。明石の意図を知った悦子は多少うろたえるが、長与の人柄に接して、まんざらでもない気持になる。彼女にも、明石の運命がはかないものだとは十分わかっているのだ。

明石はいよいよ沖縄戦に参加することになる。そのことを悦子一家にも報告に来る。また沖縄に出陣するに際して、悦子への手紙を長与に託したりもする。そして戦死する。長与が明石に託された手紙を悦子のもとにもってくるのは4月12日のことで、明石が戦死するのはその直後のことだ。

3月30日に明石が長与を悦子のもとに連れてきてから、戦死するまでの間、わずか半月足らずの間に、悦子の人生は大きく転換するのである。この短い間に、悦子は戦争と人間とのかかわりについて色々感じさせられるようなのだが、そのへんはさらりと言及するだけで、映画は悦子の日常を淡々と描くことに終始している。

ラストシーンに近いところで、長与が悦子に向かって言う。「あいつ(明石)の分まで(命を)大切にせないかんのです」と。それに悦子が答えていう。「きっと迎えに来てください。いつまでもあなたをお待ちしています」と。

結局二人は結ばれる。だからこそ、老年になって自分たちの青春をふりかえることができたわけだ。

こんなわけでこの映画は、劇的なストーリー展開がないにかかわらず、ドラマティックな感じを与えるし、また、戦争を表立って批判していないにかかわらず、戦争の意味を考えさせる。控えめではあるが、どっしりとしたところのある映画だ。





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