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山田洋次「たそがれ清兵衛」:日本恋愛映画の傑作



山田洋次の映画「たそがれ清兵衛」は、切ない恋を描いた作品だ。傑作と言ってよい。日本の恋愛映画の傑作と言えば、筆者にはまず成瀬の「浮雲」と溝口の「近松物語」が思い浮かぶのだが、「たそがれ清兵衛」はこれらと並ぶ恋愛映画の傑作と言ってよいと思う。恋愛映画といっても、ハリウッド映画やフランス映画のように、若い男女の熱烈な恋を描いているわけではない。妻に先立たれた子連れの冴えない男と、夫の暴力に耐えられず自ら望んで離縁した女の、はかないといえばはかないながら、それぞれ自分の命をかけて愛し合った男女の物語である。

映画は、主人公たそがれ清兵衛(真田広之)の紹介から始まる。彼は庄内地方にある小藩の一下級藩士である。平侍と呼ばれる。実質三十石の小禄をあてがわれ、倉庫方の任務についている。彼がたそがれ清兵衛とあだ名されているのは、勤務がひける黄昏になると、同僚の誘いを断ってまっすぐ家に帰るからだ。彼には遊んでいる金などない。家計は火の車で、その日をしのぐのに精一杯なのだ。妻が死んだばかりで、葬式を挙げるために借金が膨らんだ。小さな子どもが二人と、呆けた母親を抱えて、どうやって生活してゆくか、気が重いばかりなのである。

そんな清兵衛のところへ美しい女(宮沢りえ)が訪ねてくる。清兵衛の親友の妹で、幼馴染でもある朋江だ。朋江は、夫の暴力に耐え切れなくなり、兄を通じて藩の重職に中に入ってもらい、離縁したばかりだった。清兵衛の妻が死んだと聞き、半分は清兵衛を慰める為に、半分は自分の無聊を散らす為に来たのだったが、頻繁に清兵衛のところへ来るうちに、清兵衛への思いが高まってゆく。実は、朋江も清兵衛も幼いうちから親しくするうちに、互いのことを愛するようになっていたのが、ここにきてその愛の感情が再び高まりを見せてきたというわけなのだった。

二人が結ばれなかった理由は身分の相違ということになっている。平侍の清兵衛には朋江は高根の花だったというわけだ。その身分の格差は今も変らずにいて、清兵衛は朋江の愛を受け止めるほどの価値が自分にはないとあきらめている。だから、朋江の兄が清兵衛に妹をもらってくれと申し入れても、清兵衛には辞退するしか道はないと思われた。そんな清兵衛の気持を知って、朋江はあきらめて別の縁談に乗るようになる。

そこへ思いがけないことが起る。藩のお家騒動のあおりで、反主流派の剣術使いを暗殺するようにとの話が清兵衛のもとへ舞い込んでくる。清兵衛は朋江にしつこくつきまとう前夫を決闘の場でうちのめしていたのであるが、それが藩の上層部に聞こえ、腕を買われて暗殺役を命じられたのである。この任務に成功すれば身分も禄高も上げてやるといわれた清兵衛は、やっと一人前の武士になれるという期待を抱く。そうなれば愛する朋江を妻に迎えることができる。

かくして清兵衛は、任務に赴くに先立って、朋江に思いを打ち明ける。自分がこの任務を果たして無事戻ってきたら、その時には自分の妻になってくれるだろうかと。だが、朋江は苦しそうな表情で答える。あなたがわたしを受け入れてくださらないと知って、自分はすでに他の縁談を了承してしまいました、と。清兵衛は心が乱れる。朋江を妻にできないのなら、何のために無益な人殺しをせねばならぬのか。

乱れた心で出立する清兵衛に向かって朋江は言う。どうかご無事で、ご武運を心からお祈りします、と。武家の女なら誰しも小さな頃から心に刻み込んできた言葉だろう。だが、剣術使いと対面した清兵衛には、もはや任務のことなど頭にない。行きがかり次第では、相手を逃がしてやるつもりでいる。ところが、相手はふとしたことから逆上し、剣を抜いて切りかかってくる。清兵衛はやむをえず応酬し、相手を切り殺してしまう。

任務を果たした形の清兵衛が満身創痍の状態で家に戻ってくると、思いがけず朋江が待っていた。彼女が先ほど、ご武運をお祈りします、と言ったのは、あなたが生きて戻ってこられるのをお待ちしています、という意味だったのだ。かくして二人はめでたく結ばれるというのがこの映画の筋書きである。この筋書きは藤沢周平の短編小説をもとにしているそうであるが、何本かをつなぎ合わせて構成したというので、ほぼ山田のアイデアといってよいのではないか。彼は藤沢の小説のプロットをかなり自由に用いながら、日本人男女の恋愛物語を、徳川時代の昔に設定して描きあげたわけだ。

宮沢りえが、いかにも日本女性の芯の強さを演じていたのが印象的だ。この映画の中の彼女を見て、筆者も非常に感心した。彼女には、いまの若い女性には見られなくなった、日本人女性の伝統的な雰囲気を感じさせるところがある。



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