壺齋散人の 映画探検
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増村保造「好色一代男」:西鶴の小説を映画化



増村保蔵の1961年の映画「好色一代男」は、西鶴の有名な小説を映画化したものである。西鶴の原作は、因習的な封建時代にあって、堅苦しい人間関係を笑い飛ばしながら、自由奔放な生き方を謳歌したものだ。なにしろ七歳のときから好色の味を覚えた男が、六十歳で好色のユートピアである女護ヶ島に船出するまでの五十四年間に、数千人の女と数百人の陰間をたぶらかすという、破天荒な物語である。そこには時代への批判などはないし、また人間の生き方についての反省もない。荒唐無稽な話に事寄せて、読者の笑いを引き出すことだけを目論んでいる。

そんな西鶴の世界を増村は面白おかしく描いた。これほど人を馬鹿にした話はないのだが、馬鹿にされた当の観客が、自分が馬鹿にされているのではなく、誰か自分とは無縁の者が笑い飛ばされていると勘違いして、大いに笑うことが出来る、という趣向になっている。

原作では、世之介の五十四年間の所業を年代を追って語っているが、映画はそのなかからいつくかのエピソードをピックアップしてまとめてある。少年時代のことはオミットして、放浪の旅に出るまでの過程と、旅の途中で出会った女たちとのかかわりを主に描く。原作の世之介と多少の違いを感じさせるのは、映画の世之介にはいささかなりとも人間らしい殊勝さが感じられることだ。原作からは、世之介が本気で女に惚れるようには伝わってこないが、映画の中の世之介は本気で女に惚れているようなのである。その一方、陰間には嫌悪感を表わしている。男を抱くのはまっぴらだというのだが、原作の世之介は数百人もの陰間を抱いているのだ。

その世之介を、市川雷蔵が心憎く演じている。この俳優が演じると、世之介の好色には人情がこもっているのだと思える。なにしろ五十四年間に数千人の女をたぶらかしたわけだから、一人一人の女に深くかかわってはいられないはずだ。ところがこの映画の中の世之介は、何人かの女にまごころを込めて尽くしているのである。

こんな具合でこの映画は、娯楽作品としてはよくできている。



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