壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真ブレイク詩集西洋哲学 プロフィール掲示板




けんかえれじい:鈴木清順



「けんかえれじい」は、旧制中学校を舞台にしたバンカラ青春劇である。旧制中学校は、漱石の「坊ちゃん」で描かれたようなバンカラで喧嘩っぽい雰囲気があるというイメージが形成されていたらしく、この映画はそうしたイメージに乗じて、思春期の若者の生態を大らかに賛美したものである。

旧制中学の生徒は、いまの学制でいえば、中学生の三年間に高校生の二年間を合わせたものにあたり、したがって生徒たちは思春期の真っ只中にある。思春期といえば自我意識が芽生える時期であり、したがって自己表現としての喧嘩と異性への関心が重大な要素となる。この映画で描かれる青春もそうしたものだ。高橋英樹演じる中学生の少年が、年中喧嘩をしては問題ばかり起す一方、年上らしい少女に淡い恋心を描くところを描いている。

高橋英樹といえば、一時期アクション系の俳優として人気を博した。男っぽい役柄が取柄だった。そのマッチョなイメージの高橋が、髭の生えたばかりの少年を演じることには聊か不調和が感じられないでもないが、そこは何とか気合でカバーしている。筋力たくましい男が、色気のついた少年を演じて、マスターベーションの真似まで見せてくれるところは、いじらしいといえるだろう。

舞台は、前半が備前岡山、後半が会津である。前半の少年は備前岡山の岡山二中の生徒ということになっているが、下宿先の少女に恋心を抱いている。ところが、まだ子どもらしさの抜けない少年は、自分の恋心を告白できない憂さ晴らしを喧嘩騒ぎに紛らし、それが仇となって退学処分を受ける。

そこで会津の親戚を頼って喜多川中学校に転学するが、そこでも喧嘩ばかりしている。この映画は、少年たちが繰り広げる喧嘩のシーンからなっているといってよい。その喧嘩というのが、少年の喧嘩にしては大げさで、それこそ命にかかわるような派手な喧嘩をする。そこが見ているものにはすっきりとくる、というわけだ。

面白いのは、少年のアイドルとして北一輝が登場することだ。北はニヒルな男として少年の前に現われるが、そのまま何もなさないで姿をくらます。少年がこの男の正体を知るのは、2.26事件の報道を新聞で見て、北がこの騒動の思想的な立役者だと知ったことからだ。そこで少年は突然愛国思想に目ざめ、北を慕って上京するのである。映画は高橋英樹演じる少年が、汽車に乗って東京に向かうところで終わる。

ここでなぜ鈴木清順が北一輝にこだわったのか、そこがよくわからない。あるいは脚本を担当した新藤兼人のアイデアなのかもしれないが、この映画に北一輝を登場させる必然性はないわけだから、よほど北に惚れ込んでいる者が彼を登場させることにこだわったのだろう。

映画の殆どは少年たちの喧嘩の場面からなっているが、最後の場面でいきなり少年の思い人が出てきて、不幸な結末となる。そこのところが錯綜していて、よくわからない。この女性は、少年に対して、自分は男女の関係が出来ない体だからあなたの愛に応えられないとわけのわからぬことを言って画面から消えてゆくのだ。なぜこのタイミングで、こんなわけのわからぬことを言い出したのか、そこがまたわけがわからない。

いづれにしても、アクション映画として至極単純にできていて、全体としては楽しめる作品ではないか。




HOME| 日本映画| 鈴木清順 次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2017
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである