壺齋散人の 映画探検
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陽炎座:鈴木清順



「陽炎座」は、「ツィゴイネルワイゼン」同様怪談仕立ての映画である。薄気味悪さという点では「ツィゴイネルワイゼン」以上と言えよう。というのも、この映画では生きている女が幽霊のような真似をし、死んだはずの女が生きているように振る舞うからだ。この二人の女に、松田優作演じるところの新派作家が翻弄される、という筋書きである。

原作は泉鏡花だから、怪談の雰囲気には事欠かない。泉鏡花の原作は、「陽炎座」という芝居小屋を舞台に展開されるが、映画の中では、その芝居小屋を越え出た現実の世界が舞台だ。その舞台で、新派作家が不思議な女と三度に渡って出会う。その出会い方がどうも、幽霊に邂逅したような具合なのだ。相手が幽霊ではないかと疑う新派作家は、それでも女が忘れられない。そうしているところに、女から手紙が届く。四度目に会いたいと。

一方、新派作家は他の女ともかかわりになる。その女は、新派作家の知り合いの紳士の妻なのだが、それがどういうわけか、死んだ後で新派作家の前に現われ、床を共にする。作家はまさに幽霊と交わるわけだ。

この死んだ女も、三度に渡って作家の前に現われた女も、どちらも紳士の妻である。死んだ女は紳士がドイツから連れてきた女で、日本風に化粧をしており、外見上は日本の女と異ならない。一方三度現われた女は、さる伯爵家の令嬢であったものが、紳士の後妻として輿入れをしてきたというふうになっている。

この二人の女は、ともに紳士の妻としての悲哀を共有しあう仲として、新派作家の前に現われるのである。新派作家は、三度の女から来た手紙に駆り立てられるようにして金沢に行く。するとそこに現われた女が心中を持ちかけてくる。その心中話には夫の紳士も一枚かんでいる。この紳士は閑をもてあましており、退屈しのぎに人が死ぬのを見るのが楽しみなのである。

死ぬのはまっぴらと、命からがら脱出した新派作家は、芝居小屋の中に迷い込む。するとそこに先ほどの三度の女が現われて、舞台で踊りを踊る。その踊りというのが、まるで浄瑠璃人形の踊る姿そのものなのだ。生きている女が人形のマネをして、ぎこちなく踊るそのさまがなんともいえずロマネスクで、映像も美しく、見ているものをうならせる。

こんなわけでこの映画は、筋書きの奇妙さもさることながら、女たちの幽霊のようにゆらめく姿態といい、劇中劇としての芝居といい、浄瑠璃風の踊りといい、意外な工夫に富んでいる。また女が水をたたえた棺桶の中で股ぐらから夥しい数の赤いほうずきを繰り出すところとか、人形の裏側に仕組んだ仕掛けから男女のもつれあう姿を見せるところとか、エロチックな要素にも富んでいる。うるさい理屈にとらわれず、虚心に見るだけで楽しい作品だ。

三度の女を演じた大楠道代は、ツィゴイネルワイゼンでも幽玄な雰囲気を出していたが、この映画では幽玄味に色気が重なってじつにあでやかな感じを受ける。




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